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数年前にオクラホマ州在住の純粋なナチェズ族の104歳の男性が死んで以来、もう純粋なナチェズ族はいないとされる。現在は混血などで子孫を残し、主に[[アパラチア山脈|南アパラチア山脈]]の区域と[[オクラホマ州]]に住む。ナチェズ族名から因んだミシシッピ州[[ナッチェズ (ミシシッピ州)|ナチェズ]]市の郊外にはナチェズ族が暮らしていた村を再現した土屋根の小屋などがあり、ナチェズ族が使っていた銅器などの生活用品が展示する博物館があり、国立公園になっている。
 
現在では純粋なナチェズ族はいないが、A.D. 700から[[1730年]]まで栄えていた。[[1682年]]以来、[[ヨーロッパ]]人、[[フランス]]の探検家や司祭、軍人がナチェズ族が住む土地に頻繁に訪れるようになり、[[1716年]]ナチェズ族が住む土地にフランスが入植地を築くと、ナチェズ族の平和な暮らしが終わることになる。最初はフランス人入植者とは友好関係を築いていたが、入植地を拡大するためフランスはロサリー城砦を造り、ナチェズ族の土地を奪をうとした。そのためナチェズ族はロサリー城砦を攻撃し、フランス人入植者と戦争に突入した。[[1722年]]と[[1729年]]も戦ったが、結末はナチェズ族が戦争に負け、なんとか生き残った部族の者達はフランス人入植者から追放された。追放された部族の生き残りはオクラホマ州の[[インディアン]]の保留地に送られ、そこで[[チョクトー|チョクトー族]]及び[[クリーク族]]を始めとする[[チェロキー|チェロキー族]]結合した。
 
==脚注==