「農業党 (チェコスロバキア)」の版間の差分
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==ハプスブルク帝国時代==
1848年の隷農禁止令以降、ボヘミア地域の農村社会でも農民の声を政治に反映させようとする動きが活発化していった。当初はチェコのリベラル派政党である国民党(老チェコ党)や国民自由党(青年チェコ党)を通じて、利益の実現を図ろうとしてきたが、都市市民層を支持基盤とする両党の関心が、1870年代の農業不況にもかかわらず、国制問題に集中し、農業問題に消極的であったことに対する不満が高まっていった。農民の発言力強化を目指して、1880年代から、中央ボヘミアのムラダー・ボレスラフにおける農民党結成の呼びかけを契機に、各地で農民結社の設立が相次いだ<ref>南ボヘミア農業同盟(1877年)、ボヘミア王国農民同盟(1889年)、北東ボヘミア地区農業同盟(1895年)、中央ボヘミア地区農業同盟(1896年)。</ref>。1897年に結成されたチェコ営農家連合が、1899年1月6日の総会で農業党の設立を決定し、1903年に綱領を
==チェコスロバキア第一共和国時代==
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