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'''国防軍'''(こくぼうぐん)は、[[軍隊]]の名称の一つ。他国による[[侵略]]や[[テロリスト]]によるテロから、[[国家]]および[[国民]]を[[防衛]]することを主な任務とする。
 
ただし、積極的に周辺国への軍事行動を行うか戦略守勢(専守防衛)に徹するかはその国の政治的事情や国防方針によって決まるものであり、「国防軍」という名前だけで戦略守勢(専守防衛)に徹していることを意味するものではない。<br/>事実、周辺国への積極的な軍事侵攻を行った[[ナチス・ドイツ]]時代のドイツ軍の正式名称[[:de:Wehrmacht|Wehrmacht]]の日本語訳は「[[ドイツ国防軍]]」<ref>[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]]時代のドイツ軍の名称は[[:de:Reichswehr|Reichswehr]](国軍)であるが、現在の日本語版Wikipediaでは[[ヴァイマル共和国軍]]とされている。現在のドイツ軍の制式名称は[[:de:Bundeswehr|Bundeswehr]]([[ドイツ連邦軍]])である。</ref>であった。<br/>[[アパルトヘイト]]政策をとっていたころの南アフリカ防衛軍([[:en:South African Defence Force|South African Defence Force]])<ref>アパルトヘイトが終わって[[ネルソン・マンデラ]]が大統領になった後の1994年、南アフリカ防衛軍は[[:en:South African National Defence Force|South African '''National''' Defence Force]](南アフリカ国防軍)に改称した。</ref>も当時南アフリカの統治下にあった[[ナミビア]]と国境を接する[[アンゴラ]]への武力侵攻([[:en:South African Border War|South African Border War]])を幾度となく行っていた。<br/>[[イスラエル国防軍]]も最低でも1978年のリタニ作戦([[:en:1978 South Lebanon conflict|1978 South Lebanon conflict]])と1982年のガリラヤの平和作戦([[:en:1982 Lebanon War|1982 Lebanon War]])、2006年の[[レバノン侵攻 (2006年)|レバノン侵攻]]の合計3回に渡ってレバノン南部に地上部隊を侵攻させ、1982年には同国首都の[[ベイルート]]にまで兵を進めた<ref>ただし、イスラエルがレバノンにおいて交戦相手としているのは[[レバノン軍|レバノン政府軍]]ではなくレバノン南部に居座るイスラエルに敵対的なイスラム過激派組織(当初は[[パレスチナ解放機構|PLO]]、現在は[[ヒズボラ]])である。<br>彼らはレバノン南部を事実上の支配地域にしてそこから[[カチューシャ (兵器)|カチューシャ]]のような[[ロケット砲]]によってイスラエル北部の[[ハイファ]]などに越境砲撃を行っていたが、独立以来国内の宗教対立が原因で統治能力が高くないレバノン政府は自国南部における過激派の勝手な行動を止めることができず、1975年に始まった[[レバノン内戦|内戦]]によってますます政府の統治が行き届かなくなったため政府軍は対処能力を決定的に欠くことになった。イスラエル軍の侵攻はこれらの攻撃を自らの力で阻止することが最大の目的であるので、広義の防衛であると解釈することも可能である。</ref>。
 
2012年4月27日に発表された[[自由民主党 (日本)|自民党]]の憲法草案では、[[自衛隊]]を国防軍にすると明記された<ref>{{Cite news