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== 時代背景 ==
[[天保]]12年([[1841年]])の8月頃<ref>[[出羽国|羽州]][[庄内藩|荘内]]での藩主転封引きとめの一揆が成功して、幕命撤回がされたのは天保12年7月12日(詳しくは[[庄内藩#三方領地替え]]参照)。上巻第2話はそれから2ヶ月ほど後のことで、第1話は第2話の20日ほど前の話である。</ref>から天保14年閏9月13日の夕刻までの期間を描いている。[[老中]][[水野忠邦]]が天保の改革を行い、失脚するまでの時期である。改革によって生じた社会の混乱や、水野派と反水野派の政争が、本作で描かれるエピソードの背景の1つとなっている。
 
{{ネタバレ|よろずや平四郎活人剣}}
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=== 水野・鳥居勢力 ===
; 水野忠邦
: 実在の人物。[[老中]]首座として天保の改革を断行した。徹底した質素倹約こそ、幕府の財政再建と旗本・御家人の生活安定に必要だと信じており、過激な奢侈禁止や商家への締め付けを行った。それにより、商人たちが離散し、江戸の町がさびれてもかまわないとさえ公言している。その理想を実現するために、鳥居耀蔵らを重用した。
: しかし、商人たちが改革に嫌気をさして店をたたむことで、かえって物価が上昇するという矛盾が生じ、さらに天保14年(1843年)、江戸・畿内周辺に対して[[上知令]]を断行しようとしたところ、多くの大名・旗本の反対に遭い、鳥居ら腹心の裏切りもあって失脚した。
: 史実については、[[水野忠邦]]のページを参照。
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: 実在の人物。老中首座・水野忠邦の懐刀として、天保の改革の実行に力を尽くした。
: [[蘭学]]嫌いであり、[[目付]]時代の天保10年5月には、[[渡辺崋山]]や[[高野長英]]ら[[尚歯会]](蛮社)の蘭学者たちに弾圧を加えた(いわゆる[[蛮社の獄]])。高野長英が獄中で書いたとされる「蛮社遭厄小記」を巡って、監物や平四郎と暗闘を繰り返した。
: [[町奉行|南町奉行]]だった[[矢部定謙]]を讒言によって失脚させて後任に座ると、厳しい取り締まりを行って市民生活を締め付けたため、耀蔵という通称と甲斐守という官位をもじって「ようかい」(妖怪)と呼ばれ、恐れられた。また、本来目付配下の御小人目付の職掌である御家人への監察も行い、早苗の夫である菱沼惣兵衛も金貸しによって得た財産や証文を没収された。
: [[勘定奉行]]兼任となった後、水野が上知令問題で躓き求心力を失ったと判断すると、裏切って反水野派の盟主である[[土井利位]]に水野の機密資料を残らず提供し、保身を計った。
: 史実については、[[鳥居耀蔵]]のページを参照。