「毛氏豊見城殿内」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2011年4月}}
'''毛氏 豊見城殿内'''(もううじ とよみぐすくぅんち)は、毛国鼎・[[護佐丸|中城護佐丸盛春]]を元祖とする[[琉球王国]]の[[士]]([[首里]]士族)。五大姓(五大名門)の一つ、毛氏豊見城の筆頭家(大宗家)。代々豊見城[[間切]](現・[[豊見城市]])の総地頭を務めた琉球王国の[[大名]]
 
== 歴史 ==
読谷山山田按司の子毛国鼎・[[護佐丸|中城護佐丸盛春]]は[[座喜味城]]や[[中城城]]を築き、[[中城按司]]を称したが、勝連按司阿摩和利によって滅ばされた。三男[[中城盛親]]は[[尚円王]]の時に、豊見城間切総地頭職となり、また代々[[連綿]]と[[豊見城]]を領し、一族は大いに繁栄した。名乗頭は盛という。
 
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[[Category:琉球王国の氏族]]