「サルヴァトーレ・シャリーノ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
44行目:
1970年代には「大室内ソナタ(1971)」、「アスペレン組曲(1979)」などの代表作を次々と発表し、名声を確立する。どれが背景でどれが効果音でどれが旋律で、といった音響の分類を沈黙が常に否定するのは、シャリーノの全創作時期を通じて不変である。普通に知られている奏法すら聞いたこともない音に聞こえるのは、その音の周りが全て特殊奏法であるため、などといった効果も多用される。この時期のイタリアの現代音楽は、予想以上に秘匿主義が徹底しており、LP化されることもなければ再演すら稀と言う時代であった。そのせいもあって、この時期の作品は録音が極めて少ない。
 
シャリーノはデビュー当時は不確定性を消極的に使用(「プレリュード」は音名の指示がない)していたが、程なくして確定楽譜に収まった。「ソナタ第1番」ではショパンのノクターンの第2番の結尾直前の音型とラヴェルの「夜のガスパール」のダブルトリルを抽出して、飽きるまで繰り返される。ピアノとオーケストラと男声合唱のための「アルポクラーテの思い出」は、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」と自作の「ソナタ第1番」が引用元になっている。松村禎三や池内友次郎は若かりし頃ラヴェルに心酔したが、その20-30年後にイタリアに同じ事をする人物が現れた、と見ることも可能ではある。
 
=== 第二期(1980 - 1991) ===