「後原富」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
35行目:
[[駒澤大学]]時代は俊足強肩の外野手として活躍した。東都大学リーグ通算66試合出場、182打数43安打、打率.236、2本塁打、9打点。1967年にドラフト7位で東映フライヤーズに入団。3年在籍し引退。
 
その後、[[広島県瀬戸内高等学校]]野球部の監督に就任。プロアマ断絶([[柳川事件]])後、初めて元プロ野球選手の高校野球監督就任で、[[1991年]]、瀬戸内高校が甲子園に出場した[[第63回選抜高等学校野球大会|第63回選抜大会]]では大きな話題を呼んだ。当時は元プロ野球選手が高校野球の監督になるためには、[[教育職員免許状|教員免許]]を取得した上で教諭として10年在籍が要件とされ非常に厳しかった。その後は緩和され、教諭として2年在籍まで短縮されている。元プロに指導者の道が開かれたのは[[1984年]]。これまで([[2010年]]6月現在)計25人が認定されているが、監督として甲子園出場を果たしたのは後原と[[佐野心]]([[常葉学園菊川中学校・高等学校|常葉菊川]])しかいなかったが、<ref>[[朝日新聞]]2010年6月24日15面</ref>2012年のセンバツで[[大越基]]([[早鞆高等学校]])が出場し3人になった
 
現在、中国[[瀋陽体育大学]]客員教授。中国で[[イチロー]]を探すのが夢だというが現在は帰国している
 
== 詳細情報 ==