「サルヴァトーレ・シャリーノ」の版間の差分

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{{独自研究|date=2011年2月}}
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1980年代はフルートを中心に様々な特殊奏法が生まれた。「用いられていない運指を使って擬似トレモロ」、「舌をマウスピースに叩きつけるタングラムでパルス」、「ホイッスルトーンをアンブシュアの位置によって音色成分を変える」など、従来のフルート音楽の常識を様々に塗り替えた。現在ではシャリーノのオリジナルがフルート音楽の常識として捉えられるまでに至っている。作品リストに編曲が増えだすのはこの頃からであり、それと同じくして他者の楽曲の引用が姿を消してくる。
 
この時期に書かれたピアノのための「ソナタ第3番」では、無限ループ状にした素材から感覚的に部分を抜き取るなどのユニークな構成法が光っている。しかし、[[ルイジ・ノーノ]]の死はシャリーノに大きな打撃を与え、この時期以降厭世的な音楽を多作するようになった。1991年に[[パドヴァ大学]]の[[コンピューター]]を駆使して作曲し、[[シュトゥットガルト]]で初演された[[オペラ]]「ペルセウスとアンドロメダ」は[[伴奏]]の[[オーケストラ]]がなくコンピューターだけで伴奏するが、歌手と合わせるために[[指揮者]]は存在する。電子楽器MUSIC Vを用いたこれは非常に例外的なケースであり、シャリーノはほとんど生楽器で真価を発揮する作曲家である。{{要出典範囲|作品が徐々に録音されるようになり、国外からの委嘱が増えだすのはこの「ペルセウスとアンドロメダ」の成功が大きい|date=2012年7月}}
 
=== 第三期(1992 - 2004) ===
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[[和泉式部]]の原作に基づくオペラ「ダ ゲロ ア ゲロ(2006)」や[[ヴァイオリン協奏曲]]「人工[[四季]](2006)」では人声を模した[[グリッサンド]]が頻出するが、沈黙に近い瞬間は徐々に減じている。「旅のノート(2003)」ではクラシカルなメロディがそのままバリトンによって担われており、ここでも沈黙は減少している。ドナウエッシンゲン音楽祭2009のために「声による夜想曲の書(2009)」を出品するが、作品の評価は分かれた。その理由として「サンダーシート、チューブラーベル、大太鼓」を全く同じ組み合わせで使うが、この楽器法は数十作で使いまわされている。
 
*[[マウリツィオ・ポリーニ]]によって初演された「ソナタ第5番」はあまりのコーダの演奏困難さ故に「コーダを書き換える」処置に追われ、これが元でポリーニとの縁がこじれ二度とポリーニはシャリーノ作品を手がけなくなった。ポリーニのためのピアノ協奏曲(「薄暗いレチタティーボ」)も一曲書き下ろしたものの、以後はイギリスのピアニストの[[ニコラス・ハッジス]]へピアノ独奏作品の紹介を全面的に託した。このような事情で、ポリーニとブーレーズの共演した音源は、CD化されていない。
== エピソード ==
 
*[[マウリツィオ・ポリーニ]]によって初演された「ソナタ第5番」はあまりのコーダの演奏困難さ故に「コーダを書き換える」処置に追われ、これが元でポリーニとの縁がこじれ二度とポリーニはシャリーノ作品を手がけなくなった。ポリーニのためのピアノ協奏曲(「薄暗いレチタティーボ」)も一曲書き下ろしたものの、以後はイギリスのピアニストの[[ニコラス・ハッジス]]へピアノ独奏作品の紹介を全面的に託した。このような事情で、ポリーニとブーレーズの共演した音源は、CD化されていない。
*「サックスのキークラップは『ほとんど聞こえないから100台持ってこい』」と言って、世界ではじめての100台のサックスでキークラップを行う作品を作曲した。
 
*2008年に入って作曲されたリコーダーとオーケストラのための「四つのアダジオ(2008)」では、初演直後に拍手とブラヴォーと圧倒的多数のブーイングが乱れ飛んだ。休憩時間にシャリーノは放送局のブースに入り、「大変に、騒がしい初演となりました」というアナウンサーに対して、「30年前もこんな感じだったけれど、あの時は客が本気で殴りかかったんです」などと応答している。
*リコルディ時代は英訳や独訳も受容に応じて付されていたが、RAI TRADE時代はそのような配慮は行われておらず、全文がイタリア語で書かれている。
 
*パウル・ザッヒャー財団は、再三にわたり自筆譜の管理を高額な費用で申し出た。[http://www.paul-sacher-stiftung.ch/en/collections/p_t/salvatore_sciarrino.html ]断わったとも伝えられたが、2012年現在は所蔵されている。シャリーノのスコアは長年自筆譜のコピーだったが、2012年現在はイタリアの[http://www.k361.com/ k361]にコンピュータ出力清書が委託されており、自筆譜は照会できない。
*リコルディ時代は英訳や独訳も受容に応じて付されていたが、RAI TRADE時代はそのような配慮は行われておらず、全文がイタリア語で書かれている。
 
*パウル・ザッヒャー財団は、再三にわたり自筆譜の管理を高額な費用で申し出た。[http://www.paul-sacher-stiftung.ch/en/collections/p_t/salvatore_sciarrino.html ]断わったとも伝えられたが、2012年現在は所蔵されている。シャリーノのスコアは長年自筆譜のコピーだったが、2012年現在はイタリアの[http://www.k361.com/ k361]にコンピュータ出力清書が委託されており、自筆譜は照会できない。
 
==参考文献==