「アルブレヒト1世 (ブラウンシュヴァイク公)」の版間の差分

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1252年の父の死後、その領土を弟のヨハンと共に統治した。[[ゾフィー・フォン・ブラバント]]と[[マイセン辺境伯]][[ハインリヒ3世 (マイセン辺境伯)|ハインリヒ3世]]の[[テューリンゲン州|テューリンゲン]]を巡る争いについては、アルブレヒト1世はゾフィーの娘エリーザベトと結婚していた縁でゾフィー側に立ち参戦したが、[[1263年]]のベーゼンシュテットの戦いに敗れて捕虜になった。その後解放されたが、テューリンゲンはハインリヒ3世が所有する事になった。
 
[[1260年]][[9月]]に[[ハーメルン]]や[[アエルツェン]]を中心に勢力を持っていた[[エーファーシュタイン家|エーファーシュタイン]]伯家の[[コンラート4世 (エーファーシュタイン家)|コンラート4世]]を討伐し、各城を攻略してその影響力を徐々に弱めた。
 
[[1267年]]、ヨハンが所領分割を要求、アルブレヒト1世は1269年にこれを受け入れ、ヨハンは北部の[[リューネブルク]]と[[ハノーファー]]を、アルブレヒト1世は南部のカレンベルク、[[ヘルムシュタット]]、[[ハルツ山地]]、[[ゲッティンゲン]]を領有する事になった。