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その後[[ポール・サミュエルソン]]や[[ジョン・ヒックス]]らのケインズ解釈によってアメリカ・ケインジアンの[[新古典派総合]]が成立し、ケインズのモデルは、価格が硬直な短期における古典派的一般均衡モデルの特殊ケースと理解されるようになった(ただこのアメリカ・ケインジアン的解釈は、一般理論の体系を雇用量が人々の期待によって制約される長期不均衡の体系と捉えていたポスト・ケインジアンによっては、俗流ケインズ主義との評価も受けている)。
 
以下の記述においては原則として'''ケインズ経済学(ケインジアニズム)=アメリカ・ケインジアンの理論体系'''を意味するものであり、ケインズやカレツキの理論とは別物であるとする。
 
===新しい古典派===
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所得変化に対する消費の変化率を限界消費性向と呼んでいるが、ケインズ経済学においては限界消費性向は現在の消費・貯蓄決定行動によって規定された一定のパラメーターである。ところで合理的で時間を通じて最適化を計る家計であれば、その限りにおいては、所得の変化が一時的なものなのか恒久的なものなのかにより異なる消費決定をする。すなわち、所得変化が一時的で来期には元の水準に戻ると予測すれば、現時点ではあまり消費を増やさずに将来時点の消費のために貯蓄を増やすであろう。逆に所得変化が恒久的なものと予測すれば、所得の増分を現時点の消費に全て振り向けるはずである。その結果として家計が合理的ならば、限界消費性向は所得変化の性質に対する予測によって変化する内生的変数であり外生的なパラメーターではない。このように合理的で時を通じた最適化を図る経済主体は、将来に対して予測を行い、それに基づいて最適な行動を決定する。ケインズ経済学ではこのような経済主体の予測つまり[[期待]]を織り込むことが出来ないため、内生的な変数を誤って外生的なパラメーターとして扱ってしまうと評価されている<ref>ケインズ自身は、その一般理論で、[[消費]]に影響を及ぼす要因を多岐にわたって取り上げており、現在から将来への所得水準の動きについての期待の変化が消費に影響することを認識していたが、その短期的な影響は二次的な重要性しかもたないと考えていた</ref>。
 
さらにケインズ経済学が経済主体の期待を織り込むことに失敗していたためにマクロ[[経済政策]]の評価方法に関しても問題が生じていた。つまり過去のデータを用いて経済主体の行動を推定しその推定に基づいて将来採るべき政策を評価してきたため、政策の変化に対する経済主体の行動の変化を織り込むことが出来ず、適切な評価が困難となっていたのである。[[ロバート・ルーカス (経済学者) |ロバート・ルーカス]]は従来のマクロ経済学が経済主体の期待を考慮していないことを批判して、現在の政策変更が将来に関する経済主体の期待に影響を与えるため経済主体の行動を変える可能性を指摘した。ルーカスは伝統的なケインズ経済学(≠ケインズやカレツキの理論)の方法論を批判し経済主体の期待の果たす役割を強調したのであるが、彼にちなみこの批判は'''[[ルーカス批判]]'''と呼ばれている。
 
ルーカスらは伝統的なケインズ経済学を批判しただけではなく、ミクロ的基礎を持ったマクロ経済学の構築に大きな役割を果たした。ルーカスらの確立した新しいマクロ経済学こそが新しい古典派のマクロ経済学と呼ばれるものである。新しい古典派の流れに位置づけられる経済学者達は、人々の期待を明示的に扱うために合理的な経済主体の最適化行動に厳密に基づいたモデルを用いこれらの経済主体の行動の集計されたものとしてのマクロ経済を分析しようと試みた。その典型が[[代表的個人]]モデルである。ところでモデルの背後にある合理的な経済主体の最適化行動は、ミクロ経済学の想定するところである。それ故に新しい古典派のマクロ経済学はミクロ的基礎を持っていると言われるのである。また経済主体が経済構造と整合的な予測行って行動するという[[合理的期待]]仮説を強調したため、初期の新しい古典派を合理的期待形成学派と呼ぶこともある。