「中国学」の版間の差分

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19世紀後半になりシノロジーはその知見をさらに広げていくことになる。[[アロー戦争]]後外国人に[[中国内地]]の自由旅行が認められ、西洋列強と中国との非対称的関係がさらに質量ともに深化していくと、それまで情報源を漢文の古典典籍や中国沿岸部に点在するヨーロッパ人居留地での見聞に依存していたシノローグたちは、さらに広く深く中国の内部に分け入ったのである。例えば、イギリスの[[オーレル・スタイン|スタイン]]、フランスのペリオ、ドイツの[[アルベルト・フォン・ル・コック|ル・コック]]によって行われた[[西域]]地方の考古学的探検調査は、各国でのシノロジーの発展に大きく貢献した。またシノロジーの対象分野も拡大していった。すなわち、従来からの古典研究や語学に加え、侵略戦争遂行のための兵要地誌作成や、経済進出のための市場・物産の調査、植民地支配のための慣行調査(19世紀末以後の「中国分割」の結果列強各国は中国領土の一部を直接支配下に置くことになり、行政上このような調査も必要となった)もまたシノロジーの名において行われるようになったのである。とはいえ後者のような同時代の中国を対象とする研究は、古典学としてのシノロジーとは区別されるべきであるとする考え方もあり、現状分析としての中国学は、どちらかというと[[地域研究]]の一分野としての「中国研究」(チャイニーズ・スタディーズ)とみなされ、次第に古典文化を研究する従来のシノロジーとは異なる分野とみなされるようになった(とはいえ、現在においても「シノロジー」といえば双方を包括する概念とされている)。
 
[[20世紀]]に入ると中国学の講座は徐々にヨーロッパの大学で増加していった。特に[[第二次世界大戦]]後、それまで中国学への貢献で大きく後れをとっていた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]においては、[[朝鮮戦争]]以後[[東西冷戦|冷戦]]の焦点となった中国を研究する国際戦略上の必要から、[[ジョン・キング・フェアバンク|フェアバンク]]や[[オーウェン・ラティモア|ラティモア]]に代表される、[[社会科学]]的方法論を駆使した、地域研究としての中国学(中国研究)が大きく進展した。このような、地域研究としての中国学は、現代においては、[[シンクタンク]]の活躍を通じて政治的・政策的な影響力を増している。
 
==日本の中国学==