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Notsu89 (会話 | 投稿記録)
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'''皇 達也'''(すめらぎ たつや、[[1941年]][[5月4日]] - )は、元・[[テレビ朝日]][[テレビプロデューサー|プロデューサー]]、元・テレビ朝日サービス[[社長]]、元・[[東映]][[監査役]]で、コンテンツ会社代表。
 
[[広島県]]出身。父は元[[広島大学]]学長で教育学者(教育行財政学)の[[皇至道]](すめらぎしどう)、叔父も東北大学名誉教授、後に玉川大学文学部長を務めた教育学者の[[皇晃之]](すめらぎきらゆき)(こちらもやはり教育行財政学が専門)<ref name="ブラウン管">伊東弘祐『ブラウン管の仕掛人たち―テレビ最前線・現代プロデューサー事情』[[日之出出版]]、1983年、53-60頁</ref>
 
== 来歴・人物 ==
[[広島大学附属中学校・高等学校]]~[[慶應義塾大学]][[文学部]]卒業<ref name="ブラウン管"/>。慶應在学中からNET(現・テレビ朝日)でアルバイトをし卒業後、同局入社(社員に登用)。
 
ドラマスタッフを経て[[バラエティ番組]]担当となりその後、同局の人気番組を手がける看板プロデューサーとして活躍。映画、演劇、新聞といったあらゆるジャンルから集まって、テレビという怪物に立ち向かった先輩たちを"テレビ第一世代"と名付け、自らを純粋テレビ育ちの"テレビ第二世代"を自認<ref name="ブラウン管"/>。外部との交際が上手でないといわれたNETの社風を破り、[[プロダクション]]、[[レコード会社]]、他局の同業者と交際を広げた<ref name="ブラウン管"/>。その積極姿勢が実り、皇は[[萩本欽一]]、[[タモリ]]、[[武田鉄矢]]、[[ビートたけし]]など、当代のテレビスターの中でも、最もテレビ的なタレントを掌中に収め<ref name="ブラウン管"/>、同時期に情報・報道系番組のプロデューサーとして活躍していた[[小田久栄門]]とともに「テレ朝の天皇」の異名を奉られた。制作局長、スポーツ局長、事業局長などを経て[[1999年]]に取締役に就任。その後テレビ朝日サービスに社長、顧問を経て現在はジャパン・コンテンツ・コンサルティング社長。
 
== 略歴 ==
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* [[2010年]](平成22年)6月29日、東映株式会社監査役辞任<ref>[http://www.toei.jp/annai/pdf/110611syousyuu.pdf 東映株式会社 第88期定期株主総会招集ご通知]</ref>
 
== 代表的な担当した番組 ==
===レギュラー番組===
*「やっちゃおう!![[コント55号]]」
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*「コント55号の60分一本勝負」
*「[[欽ちゃんのどこまでやるの!]]」
*「[[笑アップ歌謡大作戦]]」
*「[[みごろ!たべごろ!笑いごろ!]]」
*「[[アイドルパンチ]]」
*「[[歌謡ドッキリ大放送]]」
*「[[クイズ!!マガジン|クイズ!!マガジン83]]
*「夢のビッグスタジオ」
*「[[ベストヒットUSA]]」
*「[[VIDEO JAM]]」
*「[[タモリ倶楽部]]」
*「[[ビートたけしのスポーツ大将]]」
*「[[ミュージックステーション]]」
*「[[ワールドプロレスリング]]」
*「[[ウソップランド女・おとこ]]」
*「[[全日本歌謡音楽祭|あなたがえらぶ全日本歌謡音楽祭]]」
*「[[ウソップランド]]」<ref>[http://homepage2.nifty.com/machi-zou/kaibutsu/ishizuka4.htm 石塚千明が語る 怪物ランド・サーガ・エピソード4]</ref>
*「[[グッドモーニング]]」
*「[[華麗にAh!so ]]」
*「[[ビートたけしのTVタックル]]」(担当時のタイトルは「どーする?!TVタックル」)
 
===映画===
*「[[やじきた道中 てれすこ]]」(製作(共同))
*「[[シャッフル (2011年の映画)|シャッフル]]」(製作(共同))
 
===その他===
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{{脚注ヘルプ}}
<references/>
 
== 参考文献 ==
*伊東弘祐『ブラウン管の仕掛人たち―テレビ最前線・現代プロデューサー事情』[[日之出出版]]、1983年、53-60頁
 
{{ミュージックステーション}}