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2005年の7月25日の新馬戦で鞍上に[[石崎駿]]を迎え、8頭立ての5番人気という低評価を覆しデビュー戦を勝利で飾る。次走では[[張田京]]が手綱を取り3着に入線すると、初めての重賞である南関東G3の[[ローレル賞]]に出走する。石崎駿が再び騎乗したがダガーズアラベスクの7着に敗れる。今度は再び張田京と共にストレチア特別5着を経て、初の南関東G1である[[東京2歳優駿牝馬]]に出走するが、またもダガーズアラベスクの8着に敗れる。
年が明けた2戦も入線は果たすものの勝ちきれなかったが、3戦目で[[内田博幸]]が手綱を取ると、2着のカネショウメロディを8馬身ちぎって快勝。[[今野忠成]]が騎乗した特別戦2着を経て、クラシック戦線へと向かう。初戦の[[桜花賞 (浦和競馬)|桜花賞]]は内田博幸が騎乗し、スターオブジェンヌ以下を押さえ勝利し、続く[[東京プリンセス賞]]では今野忠成が騎乗し、ヨシノアルテミスを首差押さえて勝利、二冠を達成した。
南関東の牝馬クラシック
この2006年もJRAからクラシック戦線を戦ってきた[[シェルズレイ]]、ラッシュライフや、[[桜花賞]]にも出走し、牝馬ながら[[全日本2歳優駿]]を制した[[グレイスティアラ]]が出走するなど、レベルの高いレースとなった。レースでは内田博幸が中団につけ、4角で先に抜け出たグレイスティアラをクビ差制して優勝、3番人気を覆し見事南関東牝馬三冠を達成した。この勝利により[[ジャパンダートダービー]]への優先出走権が与えられたが、これは回避して休養に入った。
休養後初戦は、初のJRAでのレースとなる紫苑ステークスに出走した。しかし初めての芝でのレースということもあり、14着と大敗した。次走は[[ロジータ記念]]に出走し、1番人気に押されるが、8番人気のマキノチーフに3/4馬身及ばずの2着であった。▼
▲休養後初戦は、初のJRAでのレースとなる紫苑ステークスに出走した。しかし初めての芝でのレース
しかし、この後は、交流重賞[[マリーンカップ]]では12着に大敗するなど不振が続き、[[2008年]][[3月6日]]地方競馬の登録を抹消され、現役を引退、繁殖牝馬となった。最後のレースは[[エンプレス杯]]9着であった。▼
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三冠達成が評価され、[[NARグランプリ]]2006では最優秀3歳部門と最優秀牝馬を同時受賞。最優秀3歳部門を牝馬が受賞したのは、[[1995年]]の[[ライデンリーダー]]以来11年ぶり2頭目となる。
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