「東葛西」の版間の差分
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== 地理 ==
江戸川区南部に
| url = http://suii.ara.go.jp/suimen/html/kakudai/kg_edogawa.html
| title = 江戸川区 地盤標高拡大図
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=== 住宅街 ===
東葛西は区内で最も人口が多い町であり、2万291世帯、3万9713人(2011年1月)が居住している<ref name="toukei"/>。最寄り駅は環七通りを跨いだ[[中葛西]]に所在する[[東京地下鉄|東京メトロ]][[東京地下鉄東西線|東西線]]の[[葛西駅]]
=== 産業 ===
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}}</ref>、農林漁業の従事者(28人)は区内で2番目に多い。
東葛西は葛西地域の中で最も製造業が盛んな町である。
| url = http://nippon-roll.co.jp/nrk/kikai/kikai.html
| title = 事業概要
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| title = 営業所・工場
| accessdate = 2012年7月20日
}}</ref>。また小売業も盛んで年間販売額は約456億円に達し、区内第一位の規模である<ref name="sangyo"/>。
== 歴史 ==
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}}</ref>、北部には長島村や桑川村、下今井村が出来た。[[1629年]](寛永6年)、東葛西の北端に[[新川 (江戸川区)|新川]]が開削され、江戸の水運の大動脈となった。
[[明治時代]]になると、[[町村制]]によって葛西地域の村々は合併し、[[葛西村]]となった。[[昭和時代]]には[[東京市|市郡合併]]によって江戸川区が誕生し、桑川町など一部の旧地名が復活した。戦後、葛西地域では大規模な開発が進んだ。[[1969年]](昭和44年)、東西線が全線開通し、[[葛西駅]]が設けられた。[[1972年]](昭和47年)には[[葛西沖開発事業]]が始まり、[[1978年]](昭和53年)以降の[[住居表示]]の実施により、東葛西という住所が成立した。東葛西の南部が脚光を浴びたのは、[[平成]]に入ってからである。葛西土地区画整理事業<ref>{{cite web
| url = http://www.city.edogawa.tokyo.jp/gyosei/kuchoshitsu/message/h20/tamasiigakomerareta/index.html
| title = 葛西土地区画整理
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