「トニー・ザイラー」の版間の差分

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トニー・ザイラーは2歳でスキーを始め、1947年からはキッツビュールスキークラブに所属。1952年冬、トニーは16歳で国際大会で初めて優勝した。[[フランス]]の[[モルジヌ]]では滑降とアルペン複合、[[ムジェーヴ]]([[w:en:Megève]])では大回転とアルペン複合で優勝した。しかし練習中に足を骨折して1952/53シーズンを棒に振った。
 
満を持して臨んだ[[1956年]]の[[コルティナダンペッツォオリンピック|コルティナダンペッツォ冬季オリンピック]]にて[[アルペンスキー]][[回転 (スキー)|回転]]・[[大回転]]・[[滑降]]の[[金メダル]]を獲得し三冠を達成した(なお、この大会が兼ねていた世界選手権も2大会連続三冠王の快挙である)。このときの回転で、日本の現IOC副会長である[[猪谷千春]]が2位(銀メダル。日本人初の冬季オリンピックメダリスト)に入賞しており、日本でも名が知られるようになる。なお、この大会では、開会式においてオーストリア選手団の旗手を務めた
 
1957年のオーストリア選手権では回転、大回転、アルペン複合の三冠に輝き、翌1958年自国で開催された[[アルペンスキー世界選手権]]で滑降、大回転、アルペン複合と3個の金メダルを獲得。