「豊平 (札幌市)」の版間の差分

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'''豊平'''(とよひら)は、[[北海道]][[札幌市]][[豊平区]]にある地名。
 
[[豊平川]]から約2Kmを[[国道36号]]の両端約800mに沿う細長い形状の地域である。{{和暦|[[1910}}年]](明治43年)に[[美園 (札幌市)|美園]]を、{{和暦|[[1950}}年]](昭和25年)に[[旭町 (札幌市)|旭町]]、[[水車町]]を当地区から分割した。
 
[[アイヌ語]]の「トイェ・ピラ」(崩れた崖)からこの地名が付いたと言われる。
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== 歴史 ==
* {{和暦|[[1857}}年]](安政4年) [[江戸幕府]]により[[小樽市]][[銭函]]から[[千歳市]]に至る札幌越新道([[札幌本道]]、現在の[[国道5号]]、国道36号)の建設開始。また、現豊平3条1丁目あたりに豊平川の渡し場、通行屋が建設され、[[志村鐵一]]が定住。
* {{和暦|[[1871}}年]](明治4年) [[月寒]]、[[平岸 (札幌市)|平岸]]の開拓が始まると、それに伴い豊平の開拓も始まる。また、この頃、初代の[[豊平橋]]が架けられたが、暴れ川とも呼ばれる豊平川に架かる橋は、幾度となく流された。
* {{和暦|[[1873}}年]](明治6年) 札幌本道が開通。豊平側は室蘭街道と呼ばれていた。
* {{和暦|[[1874}}年]](明治7年) 月寒、平岸に遅れること2年、'''豊平村'''が開村。
* {{和暦|[[1880}}年]](明治13年) [[阿部仁太郎]]が[[青森県]]より入植し、以降村総代として水田耕作、連合用水の開削、豊平小学校設立など尽力した。
* {{和暦|[[1883}}年]](明治16年) 阿部仁太郎により札幌豊平郵便局を現在の豊平4条1丁目に開設。{{和暦|[[1962}}年]](昭和37年)に[[豊平郵便局]]が月寒より移転開設すると豊平橋郵便局と改称
* {{和暦|[[1902}}年]](明治35年) 豊平村・月寒村・平岸村が合併し、豊平村が誕生する。元の豊平村は'''豊平村大字豊平'''となり、役場は現在の豊平4条6丁目に置かれた。
* {{和暦|[[1898}}年]](明治31年) 開拓の功により、阿部仁太郎に藍綬褒章が授与される。
* {{和暦|[[1908}}年]](明治41年) 町制施行により、'''[[豊平町 (北海道)|豊平町]]大字豊平'''となる。
* {{和暦|[[1910}}年]](明治43年) 大字豊平のうち[[美園 (札幌市)|美園]]地区を残し札幌区へ編入。'''札幌区字豊平'''となる。美園が札幌区へ編入されなかったのは、札幌区側、あるいは豊平村側が、勘違いでただ単に忘れていただけなど、諸説ある。
* {{和暦|[[1918}}年]](大正7年) [[定山渓鉄道線]]が開通すると、[[豊平駅]]が現在の豊平5条9丁目で開業。
* {{和暦|[[1922}}年]](大正11年) 札幌区の市制施行により、'''札幌市豊平'''となる。
* {{和暦|[[1924}}年]](大正13年) [[札幌市電|電気軌道]]による路面電車が延長開業。また札幌-月寒にもバスの運行が始まる。
* {{和暦|[[1929}}年]](昭和4年) 定山渓鉄道豊平駅まで路面電車が延長される。
* {{和暦|[[1950}}年]](昭和25年) 旭町、水車町を分割。
* {{和暦|[[1969}}年]](昭和44年)[[11月1日]] 定山渓鉄道の廃止。
* {{和暦|[[1971}}年]](昭和46年)[[10月1日]] [[札幌市営地下鉄南北線]]が開通されると、路面電車(札幌市電)が廃止。以降23年、豊平地区の公共交通機関はバスのみとなる。
* {{和暦|[[1972}}年]](昭和47年)[[4月1日]] 札幌市が政令指定都市となり、'''札幌市豊平区豊平'''となる。
* {{和暦|[[1994}}年]](平成6年)[[10月14日]] [[札幌市営地下鉄東豊線]]が[[福住駅]]まで延長開業されると、豊平地区に[[学園前駅 (北海道)|学園前駅]]、[[豊平公園駅]]が開業。
 
== 隣接地区 ==