「阿闍梨」の版間の差分

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#内明(ないみょう;adhyatma-vidya):仏教学、律蔵、経蔵、典籍学、儀軌を含む密教学、[[事相]]、法舞(チャム)、吹奏楽(儀式用の楽器演奏)。
 
チベット密教では阿闍梨一人は図書館一つに匹敵するといわれ、古い世代のラマや伝統教育の恩恵をけているトゥルク(転生者)たちには、「阿闍梨の五明」の伝統が今も生きている。ただし、今日的な様々な理由によってチベット密教の伝統も変化しつつあり、1959年の[[チベット動乱]]以降にチベット自治区や海外に設立された、西洋式のプログラムに基づく仏教大学の密教学部<ref>例えば、ニンマ派の故ぺノル・リンポチェが設立した仏教大学だと、「密教学部」は顕教の学習を7年行い、その後2年間にわたって密教を2年間学習して卒業試験を受けて、合格すれば阿闍梨となる。伝統のトゥルクの場合、3才でお寺に入って3人~6人の個人教授が付き、通常のラマの3倍から10倍の量の学習を行い、20歳で得度をうけて正式の[[出家]]僧となり、30才までには阿闍梨となる。伝統での[[英才教育]]の凄まじさは現代の比ではなく、かの偉大なる故ペノル・リンポチェをして自殺を考えさせ、崖っぷちから飛び込む寸前に教授達がその学習の進度を遅らせることを了承したために思いとどまったのは、チベット僧のあいだでは今だから話せる有名なエピソードである。
</ref>を卒業することで阿闍梨の資格を得た若い世代の一般のチベット僧は、阿闍梨の資格はあっても亡命先などの特殊な事情や時間的な制約もあって、「阿闍梨の五明」を完全には学んではいない。また、チベット密教で通過儀礼となった約3年の閉関修行<ref>洞窟やお堂、決められた寺院の外には出ることが許されない「お篭り」の修行のこと、一定の目標やプログラムを終了することで外に出られる。チベットにはこれと似た行法として、暗闇の状態で篭る「ヤンティ」(黒関成就法)などもある。</ref>に基づく阿闍梨も同様である。一方、日本密教では、[[元暦]]2年に京都を中心とする一帯を襲った[[文治地震]]によって首都機能が完全に麻痺し、時の貴族政権が倒れただけでなく、国家仏教でもあった真言宗と天台宗は共に施設や人材に甚大な被害を受けて平安密教の終焉を迎えた。それ故、残念なことに上記の学問である「阿闍梨の五明」のほとんどは[[鎌倉時代]]に失伝してしまった。
 
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#勇健(勇猛で健全)の(勝義)菩提心に安住すること。
 
『阿闍梨戒』は、日本密教では今は伝承されていないが、現在の中国密教では、段階的に「準阿闍梨灌頂」と「阿闍梨灌頂」とがあり、後者の「阿闍梨灌頂」において授かる。チベット密教では別尊の大法や、『大幻化網タントラ』をはじめとする主要なタントラの灌頂の際に、「瓶灌頂」等の後に「阿闍梨灌頂」を挟み、その際に授かる戒律である。また、中国密教では別名を『随従阿闍梨戒』ともいい、チベット密教では、これ以前に必ず「四帰依」<ref>「四帰依」とは、帰依仏、帰依法、帰依僧伽(そうぎゃ:20名以上の[[出家]]者からなる僧団のこと)、帰依上師(じょうし:根本ラマもしくは師僧のこと)の四つをいうだけでなく、[[三宝]]の全てが自身の根本ラマの上に[[象徴]]され、体現されていることを意味する。[[密教]]では根本ラマや[[師僧]]の役割は非常に重要で、両者が無ければその信仰生活だけでなく、教えや修行は成立しない。</ref>の『上師戒』の解説や、『師事法五十頌』<ref>後期密教における重要な訓戒。内容は、自身の師僧(根本ラマ)に師事し、生涯仕えるために弟子や修行者として守るべきの50項目の注意事項となっている。なお、中国密教の西密では戒律と同等の意味を持つ。</ref>を授かることになっている。
 
:『'''阿闍梨戒'''』<ref>『阿闍梨戒』には六つの条項以外に、詳しい解説と「口伝」とがある。</ref>