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== 歴史 ==
[[1898年]]に[[スペイン軍]]の砲兵指揮官であったエミリオ・デ・ラ・クアドラ(''Emilio de la Cuadra'' )は、[[バルセロナ]]で電気自動車会社のラ・クアドラを設立した。デ・ラ・クアドラは[[パリ]]の街で[[スイス]]の技術者マルク・ビルキヒトと出会い、彼の才能を買って雇用した。[[1902年]]に会社のオーナーがJ・カストロに変わり、社名もファブリカ・イスパノ・スイザ・デ・オートモービル ({{lang|es|''Fábrica Hispano-Suiza de Automóviles'' }}) となったが、翌年に倒産した。
 
[[19041902年]]、再びに会社のオーナーがJ.カストロの下でラに変わり、社名もスペインとスイスを意味する「ファブリカ・イスパノ・スイザ・ファブリカ・デ・オートモービル ({{lang|es|''LaFábrica Hispano-Suiza de Automóviles Fábrica'' }}) 」となった再建され、翌年に4台のエンジンが販売された。再建した会社は乗用車、トラックを大量生、手作業で[[レーシングカー|レーシング]]や[[高級車]]を少数製造した。
 
[[1904年]]、再びJ.カストロの下で「ラ・イスパノ・スイザ・ファブリカ・デ・オートモービル ({{lang|es|''La Hispano-Suiza de Automóviles Fábrica'' }})」 が再建され、翌年に4台のエンジンが販売された。再建した会社は乗用車、トラックを大量生産、手作業で[[レーシングカー|レーシング]]や[[高級車]]を少数製造した。
高級車の市場はスペインよりもフランスの方が非常に大きいことを確認し、[[第一次世界大戦]]前の[[1911年]]に[[パリ]]郊外のルヴァロワ・ペレに新しい工場が建設された。[[1914年]]には、より大きな工場があるボワ・コロンベへ移り、イスパノ・スイザの名で販売を始めた。航空エンジンの製造会社としても成功し、バルセロナの工場は[[第二次世界大戦後]]の[[1946年]]まで運転された。
 
高級車の市場はスペインよりもフランスの方が非常に大きいことを確認し、[[第一次世界大戦]]前の[[1911年]]に[[パリ]]郊外のルヴァロワ・ペレに新しい工場が建設された。[[1914年]]には、より大きな工場があるボワ・コロンベへ移り、イスパノ・スイザの名で販売を始めた。高級車ブランドとして大きな成功を収めたほか、航空エンジンの製造会社としても成功し、バルセロナの工場は[[第二次世界大戦後]]の[[1946年]]まで運転された。
[[1968年]]に、フランスの[[スネクマ]](現在のサフラン)によって買収され、現在に至る。
 
バルセロナの工場は[[第二次世界大戦後]]の[[1946年]]まで運転された。その後も航空エンジンを中心に操業を続けたが、[[1968年]]に、フランスの[[スネクマ]](現在のサフラン)によって買収され、現在に至る。
 
== 外部リンク ==