「ケニー・ロフトン」の版間の差分

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{{by|1997年}}に球団から5年総額4,400万ドルで契約延長を打診されるが拒否<ref name="bl1967">{{Cite web|url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Kenny_Lofton_1967|title=The Ballplayers - Kenny Lofton | BaseballLibrary.com |language=英語 |accessdate=2008年6月12日 }}</ref>。[[3月25日]]に[[デービッド・ジャスティス]]、[[マーキス・グリッソム]]との交換トレードで、[[アラン・エンブリー]]と共に[[アトランタ・ブレーブス]]に移籍。故障で40試合を欠場するが打率.333を記録。しかし前年まで5年連続で50以上を記録した盗塁は27に激減、盗塁死もリーグ最多の20と精彩を欠いた。故障の影響もあったが、走塁の方針がインディアンズとは異なり、思うように走ることができなかった<ref>「30球団マンスリー・リポート クリーヴランド・インディアンズ」『[[月刊メジャー・リーグ]]』1999年6月号、[[ベースボールマガジン]]社、1999年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-6、91項。</ref>。オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となり、[[12月8日]]に古巣インディアンズと4年契約を結び、1年での復帰となった。
 
{{by|1998年}}は[[リッキー・ヘンダーソン]]に次ぐリーグ2位の54盗塁を記録し、復活を果たす<ref name="bl1967"/>。{{by|1999年}}は[[ハムストリング]]の故障により120試合の出場に留まるが、5回目のシーズン100得点を達成。一方で、レギュラー定着以降最低の25盗塁に終わった。[[ボストン・レッドソックス]]との[[1999年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]第5戦で左肩などを負傷し、復帰は[[1999年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]以降と思われたが、驚異的回復で{{by|19992000年}}の開幕スタメンに名を連ねた<ref name="bl1967"/>。{{by|2000}}打率がメジャレギュラー定着後ワーストの打率.278だった一方、自己最高の15本塁打、73打点を記録。[[8月15日]]から[[9月3日]]にかけて[[レッド・ロルフ]]のメジャー記録に並ぶ18試合連続得点を記録した<ref name="bl1967"/>。{{by|2001年}}は打率.261、16盗塁に終わる。4年契約を満了し、{{by|2001年}}[[11月5日]]にフリーエージェントなった。
 
===流浪のシーズン===
{{スポーツ選手の出典明記|選手=節|記述内容|section=1|date=2008年6月12日 (木) 11:33 (UTC)}}
年が明けての{{by|2002年}}[[2月1日]]、[[シカゴ・ホワイトソックス]]と契約。新天地で開幕を迎えたロフトンは、[[7月]]半ばまでまずまずの働きを見せていたが、[[7月28日]]に投手の[[フェリックス・ディアス]][[マイナーリーグ]]に所属していた[[ライアン・ミーアクス]]の21選手と交換に、トレードで[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]へ移籍。チームは[[ワイルドカード]]からポストシーズンを勝ち上がり、13年ぶりのリーグ優勝を果たした。そのままジャ[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハム|ナハイム・エツでゼルス]]との[[2002年のワールドーズンを終えたロフトンは、|ワールドーズ]]では全7試合に出場したが、3勝4敗で惜しくも敗退した。オフの[[11月4日]]に自身3度目となるフリーエージェントとなった。
 
{{by|2003年}}[[3月14日]]、[[ピッツバーグ・パイレーツ]]と契約。2年連続での新天地での開幕となったロフトンは、パイレーツでも2002年と同様に、まずまずの成績を残していた。しかし[[7月23日]]に[[ホゼ・ヘルナンデス]]ロフトンマイナー1選手、後日発表活躍ぶりに目を付けた1選手([[シカゴボビーカブスヒル]]が、)との交換トレードを画策。ロフトンはで、[[アラミス・ラミレス]][[三塁手]]と共に[[シカゴ・カブス]]移籍した(交換要員。移籍後は打率.327なった活躍し、チームは内野手14年ぶり地区優勝に貢献。[[ホセマイアミヘルナマーリデスズ|フロリダ・マーリンズ]]と、マイの[[2003年のショナルリグチャンピオンシップシリーズ|リの[[マグチャンピオンシト・ブルバックプシリーズ]]。またこでは、58年ぶりトレは、シリーズ進出まで日パイレーツアウト5つまで迫りな選手ら逆転負けもう1人獲得する事になっていた為喫し[[8月15日]]に[[ボビ自身3度目のワ・ヒ]]内野手がパイレーツに移籍した。)。カブスで残りのーズンを過ごし出場はならなかっロフトンは、[[10月30日]]にフリーエージェントとなった。
 
フリーエージェントとなっていたロフトンは、{{by|2004年}}[[1月6日]]に[[ニューヨーク・ヤンキース]]と契約。ヤンキースをプレイオフ控え導く助人として期待されが、上に下位打線での起用が多く、1番で起用される事願って望んでいたロフトンにとって、この起用は不満だったようである。思い通りレッドソックスと結果を残せず、[[2004年のアメリカンリーグチャンピオンップシリーズ|リーグチャンシップシリーズ]]では3連勝後4連敗で、またしてもワールドシリーズ出場を逃した。[[12月3日]]に投手の[[フェリックス・ロドリゲス]]と交換トレードで[[フィラデルフィア・フィリーズ]]へ移籍した。
 
フィリーズで開幕を迎えたロフトン{{by|2005年}}、以前のミート力が復活し、規定打席にははるかに及ばなかったものの打率.335という高い打率、22盗塁を記録した。シーズンオフの[[11月2日]]フリーエージェントに。年内のとなり、[[12月20日]]に[[ロサンゼルス・ドジャース]]と契約をまとめた
 
[[ファイル:Monster Seats 6.30.07 103.jpg|thumb|right|200px|2007年、レンジャーズ在籍時]]
ドジャースで開幕を迎えたロフトン{{by|2006年}}打率.301、12三塁打86%という高い成功率で32盗塁を決め記録し盗塁成功も2年連続での86.300超で4%と健在ぶりを示した。{{by|2007年}}は、[[12月12日]]に[[テキサス・レンジャーズ]]へ移籍してプレーする事なり、レンジャーズでも核弾頭としての働きを期待された契約
 
[[4月3日]]の開幕戦で2盗塁を決め記録し、メジャー史上17人目の通算600盗塁を達成。その後も好調打率.300を維持していするなど好調だったが、[[7月27日]]、インディアンスの捕手[[マックス・ラミレス]]との交換トレードで移籍。三度古巣インディアンスでプレーすることとなった。インディアンスズに移籍後は、過去2回の在籍時とは違い、中堅には好守の[[グレイディ・サイズモア]]がいため、主にメジャー昇格後初となる左翼手として主にプレした。チームは6年ぶりの地区優勝を果たし、レッドソックスと[[2007年のアメリカンリーグチャンピオンシップーズ|リーグチャピオンシップシリーズ]]で対戦。第5戦では[[ジョシュ・ベケット]]と乱闘騒ぎを起こした。3勝1敗とレッドソックスを追い詰めたがそこから3連敗を喫し、またしてもワールドシリーズ出場を逃した。オフに自由契約フリーエージェントとなり、チームも契約を結ばなかったためまま引退した
 
[[2010年]][[1月27日]],クリーブランド・インディアンスはロフトンを同チーム野球殿堂入りさせる事をが球団から発表された。
 
==選手としての特徴==
{{スポーツ選手の出典明記|特徴|section=1|date=2008年6月12日 (木) 11:33 (UTC)}}
バッティング面での最大の特徴は、ミートが上手い事。自身の全盛期には、5年連続で打率.300を記録した事もあり、一時は打率が低迷したが、2005年頃からミート力が復活してきている。また、以前はそこそこのパワーも発揮しており、15本前後のホームランをコンスタントに放っていた。守備・走塁面でもハイレベル。盗塁王を5年連続で、[[ゴールドグラブ賞]]を4年連続で獲得した実績がある。2000年代に入ってから、年齢による衰えは隠せないものの、それでもまだまだ十分通用するレベルである。2006年シーズン終了時点で先頭打者本塁打が29本。これは歴代11位の記録である。
 
==獲得タイトル・記録==