「アントニー・アシュリー=クーパー (初代シャフツベリ伯爵)」の版間の差分

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=== "Cabal" ===
[[cabal]](カバル)とは徒党、あるいは派閥といった意味をもつが、この時のcabalは、第二次[[英蘭戦争]]で失脚したクラレンドン伯に代わって政権を担った5人の頭文字をも指していた。すなわち、[[トマス・クリフォード (初代クリフォード・チャッドリー男爵)|クリフォード]]('''C'''lliford)、[[ヘンリー・ベネット (初代アーリントン伯)|アーリントン]]('''A'''rlington)、[[ジョージ・ヴィリアーズ (第2代バッキンガム公)|バッキンガム]]('''B'''uckingham)、アシュリー('''A'''shley)、[[ジョン・メイトランド (初代ローダーデイル公)|ローダーデイル]]('''L'''auderdale)である。この5人によって構成された政権が後の内閣の始まりともいわれるが、実際のところ、彼ら5人は常に協力関係にあったわけではなく、むしろ反目しあうことのほうが多かったとの指摘もある。
 
cabalの中でアシュリーは通商・植民振興委員会の委員長に就任し、[[ハドソン湾会社]]の設立・整備に努めた。[[13植民地]]では[[ノースカロライナ州|ノースカロライナ]]・[[サウスカロライナ州|サウスカロライナ]]領袖への植民を進め、当地には「アシュリー川」「クーパー川」の地名が残っている。さらにイングランド農業を守るため、アイルランド畜産牛の輸入を制限した。対外政策ではスコットランドとの議会合同の道をさぐったが、これは吸収合併を嫌ったスコットランド議会の反対にあって頓挫した。
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[[Category:イングランド史の人物]]
[[Category:イギリスの政治家]]
[[Category:イギリスの伯爵]]
[[Category:1621年生]]
[[Category:1683年没]]