「ガリシア州」の版間の差分

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== 地理 ==
本州ガリシアはおよそ北緯41度から北緯44度の間に位置する。年間を通して穏やかな気候で、最寒月でも摂氏8度以下になることは少ない。1年を通じて雨が降り、年間降水量も豊富である。しかし、内陸部に入ると気候も気温・降水量も違ってくる。また、入り江の多い複雑な海岸線で知られており、海面上昇で形成される[[リアス式海岸]]の語源となったのがこの地域で、「リアス」とはガリシア語あるいはカスティーリャ語(スペイン語)での入り江(リア)の複数形である。海岸線の北部をリアス・アルタス、南部をリアス・バイシャスと区別する。
ガリシアは、入り江の多い複雑な海岸線で知られている。海面上昇で形成される[[リアス式海岸]]の語源となったのがこの地域で、「リアス」とはガリシア語あるいはカスティーリャ語(スペイン語)での入り江(リア)の複数形である。海岸線の北部をリアス・アルタス、南部をリアス・バイシャスと区別する。
この地形のために漁業が盛んであり、特にポンテベドラ県沿岸部の[[リアス・バイシャス]]([[:gl:Rías Baixas|Rías Baixas]])では養殖漁業が盛んである。また、観光客には美しい風景が魅力となっている。地層は多様であるが、[[変成岩]]と[[花崗岩]]が主である。
 
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ガリシア地方の居住形態は、一部の都市部の中心地域を外れれば、多くの集落が分散しているため、地名が多い。一説によると、スペインの地名の半数近くがガリシアのものであるともいわれる。したがって、出身を表す場合、コンセージョ(市町村に相当)以外に教区(パロキア)を示すことも普通であり、また、その教区内の集落(アルデア)にまで言及することも珍しくない。
 
ガリシアという語の起源は、紀元前19年この地がローマの属州となった時、ローマ人が「ガラエキア」と呼んだことに始まる<ref>桑原真夫「ガリシアという異郷」/ 坂東省次・桑原真夫・湯浅武和編著『スペインのガシアを知るための50章』明石書店 2012
年 19ページ</ref>。
 
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1833年それまであった7県(ラ・コルーニャ、サンティアーゴ、[[:gl:Provincia de Betanzos|ベタンソス]]、[[:gl:Provincia de Mondoñedo|モンドニェード]]、ルーゴ、オレンセ、[[:gl:Provincia de Tui|トゥイ]])が4県に再編され、現在にいたっている。19世紀にガリシア民族主義、連邦主義が勃興する。しかし1846年、自由主義者の将軍ミゲル・ソリスが起こしたクーデターは、[[ラモン・マリア・ナルバエス]]政権によって弾圧された。替わって盛り上がりを見せたのは社会的・文化的手段としてのガリシア語復興運動(レシュルディメント)であった。作家ロサリア・デ・カストロ、マヌエル・ムルギア、エドゥアルド・ポンダルらがその代表者である。
 
20世紀の独裁者[[フランシスコ・フランコ]]はガリシア地方フェロルの出身であったが、フランコ時代にはガリシアの自治は廃止され、公でのガリシア語の使用は禁止された。[[1978年]]のスペイン新憲法によって自治州制度が導入され、スペイ1980年12月20日{{仮リ17州の一つとなり、ク|ガリシア自治憲章|gl|Estatuto de Autonomía de Galicia}}住民投票によって可決成立、ガリシア自治州が創設された。
 
== 人口 ==
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== 政治 ==
1975年フランコ独裁政治が終わり、民主化(トランシシン・エスパニューラ)の波がガリシアにも訪れた。しかし、他州と違い1977年の[[1977年スペイン議会総選挙|総選挙]]では、中道右派の[[民主中道連合]] (UCD) が勝利し、自治州政府設立とガリシア自治州憲章の作成にあたった。1979年の[[1979年スペイン議会総選挙|総選挙]]でも UCD が圧勝した。
1980年に自治州憲章案が住民投票で承認され、1981年の[[1981年ガリシア自治州議会選挙|第1回州議会選挙]]で右派の国民同盟(AP、後期フランコ政権の閣僚が多く所属していた)が勝利した。第2党はUCDであった。<ref>大木雅志「スペイン憲法公布後のガリシアとガリシア自治州憲章」/ 坂東省次・桑原真夫・湯浅武和編著『スペインのガシアを知るための50章』明石書店 2012年 232ページ</ref>。その後自治州議会により、「言語正常化法」「ガリシアの旗」「ガリシアの日」などが制定された。自治州は、いくつかの分野で自由裁量が認められている。しかし、[[カタルーニャ]]や[[バスク]]ほど独立性は強くない
ガリシアは伝統的に[[独立自営農民]]が多く、[[保守]]的な土地柄である。独自の言語([[ガリシア語]])を持った地域だが、[[バスク州|バスク]]や[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]に比べ[[民族主義]]政党の力は弱く、保守的な[[国民党 (スペイン)|国民党]]の地盤である。1990年から15年にわたって、[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]政権末期の閣僚で、国民同盟(のちの国民党)を創設した[[マヌエル・フラガ・イリバルネ]]が州首相を勤めていた。
 
ガリシアは伝統的に独立自営農民が多く、[[保守]]的な土地柄である。独自の言語([[ガリシア語]])を持った地域だが、[[バスク州|バスク]]や[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]に比べ[[民族主義]]政党の力は弱く、保守的な[[国民党 (スペイン)|国民党]]の地盤である。1990年から15年にわたって、[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]政権末期の閣僚で、国民同盟(のちの国民党)を創設した[[マヌエル・フラガ・イリバルネ]]が州首相を勤めた。

しかし、2005年の地方[[2005年ガリシア自治州議会選挙|州挙]]では[[ガリシア自治州議会|州議会]]の議席数75の内、国民党の地域政党である[[ガリシア国民党]](PPdeG)が37、社会労働党(PSOE)の地域政党である[[ガリシア社会党]](PSdeG)が25、民族主義政党連合である[[ガリシア民族主義ブロック]](BNG)が13議席を獲得し、国民党は過半数を獲得できず、ガリシア社会党(社会労働党)とガリシア民族主義ブロックの連立政権が誕生、州首相にはガリシア社会党からエミリオ・ペレス・トウリーニョ([[:es:Emilio Pérez Touriño|Emilio Pérez Touriño]])が、副首相にはガリシア民族主義ブロックからアンショ・キンターナ([[:gl:Anxo Quintana|Anxo Quintana]])が選出された。2009年3月1日の州選挙ではガリシア国民党は過半数の38議席を獲得、PSdeGとBNGはそれぞれ25議席、12議席にとどまり、与党の座を国民党に明け渡すこととなった。ガリシア国民党の党首アルベルテ・ヌーニェス・フェイホー([[:gl:Alberte Núñez Feijoo|Alberte Núñez Feijóo]])が州首相に選出された。
 
=== 政党 ===
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* 人民連合([[:gl:Nós-UP|Nós-UP]])
 
現在国政野党第一党首相ある国民党の党首はガリシア出身のである[[マリアーノ・ラホイ・ブレイ]]([[:es:Mariano Rajoy|Mariano Rajoy]])はガリシア出身である。
 
=== 選挙結果 ===
{| class="wikitable" border="1"
|- style="background:#BFCFFF; color:#000; font-size:100%"
!! rowspan="2" |選挙!! colspan="3"|ガリシア国民党!! colspan="3"|ガリシア社会党!! colspan="3"|ガリシア民族主義ブロック!! rowspan="2" |備考
|-
!得票 !!% !!議席 !!得票 !!% !!議席 !!得票 !!% !!議席
|-
| [[1981年ガリシア自治州議会選挙|1981年州議会選挙]]
| align="right"| 301,039
| align="right"| 30.52
| align="right"| 26
| align="right"| 193,456
| align="right"| 19.62
| align="right"| 16
| align="right"| -
| align="right"| -
| align="right"| -
| 第2党は[[民主中道連合|UCD]]で、得票274,191票、割合27.80%、24議席。第4勢力の<br />[[:gl:Bloque Nacional-Popular Galego|BNPG]]-[[:es:Partido Socialista Galego|PSG]]は3議席を獲得、これらが後にBNGの母体となった。
|-
| [[1985年ガリシア自治州議会選挙|1985年州議会選挙]]
| align="right"| 516,218
| align="right"| 41.17
| align="right"| 34
| align="right"| 361,946
| align="right"| 28.86
| align="right"| 22
| align="right"| 53,972
| align="right"| 4.23
| align="right"| 1
| 第3党はCG<ref>CGは[[:gl:Coalición Galega|Coalición Galega]](ガリシア同盟)</ref>で11議席、第4党はPSG-EG<ref>[[:es:Partido Socialista Galego-Esquerda Galega|Partido Socialista Galego-Esquerda Galega]](ガリシア社会主義党=ガリシア左翼)</ref>で3議席獲得。
|-
| [[1989年ガリシア自治州議会選挙|1989年州議会選挙]]
| align="right"| 583,579
| align="right"| 44.20
| align="right"| 38
| align="right"| 433,256
| align="right"| 32.81
| align="right"| 28
| align="right"| 105,703
| align="right"| 8.01
| align="right"| 5
| 第4党はPSG-EG、第5党はCGで、それぞれ2議席獲得。
|-
| [[1993年ガリシア自治州議会選挙|1993年州議会選挙]]
| align="right"| 763,839
| align="right"| 52.62
| align="right"| 43
| align="right"| 346,831
| align="right"| 23.89
| align="right"| 19
| align="right"| 269,233
| align="right"| 18.55
| align="right"| 13
|
|-
| [[1997年ガリシア自治州議会選挙|1997年州議会選挙]]
| align="right"| 832,751
| align="right"| 52.88
| align="right"| 42
| align="right"| 310,508
| align="right"| 19.72
| align="right"| 15
| align="right"| 395,435
| align="right"| 25.11
| align="right"| 18
| BNGが初めて第2党になった。
|-
| [[2001年ガリシア自治州議会選挙|2001年州議会選挙]]
| align="right"| 791,885
| align="right"| 52.51
| align="right"| 41
| align="right"| 334,819
| align="right"| 22.20
| align="right"| 17
| align="right"| 346,423
| align="right"| 22.97
| align="right"| 17
|
|-
| [[2005年ガリシア自治州議会選挙|2005年州議会選挙]]
| align="right"| 756,562
| align="right"| 45.81
| align="right"| 37
| align="right"| 555,603
| align="right"| 33.64
| align="right"| 25
| align="right"| 311,954
| align="right"| 18.89
| align="right"| 13
| PSdeG、BNGの連立政権誕生。
|-
| [[2009年ガリシア自治州議会選挙|2009年州議会選挙]]
| align="right"| 789.427
| align="right"| 47,47
| align="right"| 38
| align="right"| 524.488
| align="right"| 31,54
| align="right"| 25
| align="right"| 270,712
| align="right"| 16.28
| align="right"| 12
| PPdeGが政権に復帰。
|}
:出典:Argos(Subdirección de Análisis y Políticas Públicas de la Presidencia de la Generalitat)<ref>[http://www.pre.gva.es/pls/argos_elec/DMEDB_ElecComunidades.informeElec?aNComuId=11&aVLengua=c Resultados de las elecciones al Parlamento de Galicia en el Archivo Histórico Electoral del Área de Análisis, Estudios y Documentación de la Presidencia de la Generalidad Valenciana]</ref>
=== 歴代州首相 ===
{| class="toc" cellpadding=0 cellspacing=0 width=90% align="center" style="center; text-align:left;clear:all; margin-right:8px; font-size:90%;"
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== 参考文献 ==
* 『新訂増補 スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社、2001年、86-87頁
* 関哲行・立石博高・中塚次郎編著『世界歴史大系スペイン史2近現代・地域からの視座』2008年、山川出版社、ISBN 9784634462052
 
== 脚注 ==