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[[霊帝 (漢)|霊帝]]の崩御に伴い、生母[[霊思何皇后|何太后]]とその兄である[[大将軍]]の[[何進]]により擁立された。しかし、何進が[[宦官]]により[[暗殺]]され、さらに宦官も[[袁紹]]によって皆殺しにされたため、その時期に[[洛陽]]に入ってきた[[董卓]]によって、異母弟の[[献帝 (漢)|劉協]](献帝)が擁立され廃位となり、[[弘農]]王に封じられた。
 
その後、董卓の専制に反発した諸侯による反董卓連合が起こった時、連合軍に擁立されることを恐れた董卓に命じられた[[李儒]]によって、[[長安]]遷都前に毒殺された。後に懐王弘農王としての[[諡]]をされたため、実質的に皇帝とは認められなかったことになる。
 
在位わずか5ヶ月に過ぎないが、地方[[豪族]]の一人に過ぎなかった董卓に帝位を廃されたことは、事実上後漢王朝が滅亡したことを意味している。