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== 経歴 ==
[[東京都立戸山高等学校]]から[[東京大学]]に進学。大学では[[東京大学運動会ラグビー部|ラグビー部]]に所属した。[[1962年]]に[[東京大学法学部]]を卒業し、東芝<ref>当時の社名は旧称の「東京芝浦電気」。</ref>(現:[[東芝]])に入社。以後、同社内での昇進を続け、[[1994年]]に取締役(情報処理・制御システム事業本部長)、[[1996年]]に常務取締役となった。
 
2000年6月に東芝社長に就任し、肥大化して脆弱になった東芝グループの事業再編を進め、経営体質の強化を進めた。2005年7月に同社会長となり、同時に[[日本経済団体連合会]](日本経団連)副会長に就任。[[2007年]]11月には日本商工会議所の第18代会頭に就任した。以来、財界、およびそれを代表した委員として参加する公的機関などでの社会活動を積極的に行っている。
 
== 発言・公的活動 ==
財界人としての岡村の活動は幅広く、政界に対する苦言も呈する。* 2008年9月1日に辞任を表明した[[福田康夫]]首相に対しては、「突然の辞任に驚きを禁じえない」「臨時国会を目前に控え、総合経済対策もまとまり、[[消費者庁]]設置など諸改革の実行がこれからというときだけに残念だ」「自民党は挙党態勢を組み、山積している課題解決に全力をあげるべきだ」などと述べた<ref>[http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-33539120080901 突然の首相辞任に驚き、諸改革これからという時に残念=岡村日商会頭] ロイター・ジャパン 2008年9月1日閲覧</ref>。
* [[日本銀行]]の総裁人事を巡り与党の[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]と野党の[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]が対立し、2008年3月に同総裁が空席となった際には「金融不安の中、日本が国際的責務を果たせるかが危ぶまれる」「(与野党は)国民目線での議論に立ち返るべき」と苦言を述べ、民主党にも経済問題を重視した協調路線への政策転換を求めた<ref>[http://www.tokyo-cci.or.jp/kaito/coment/2007/200312.html 日銀総裁人事政府案の参院否決に対する岡村会頭コメント] 東京商工会議所 会頭コメント 2008年3月12日付</ref>。
 
また、* 2008年2月に[[伊勢神宮]]の[[遷宮]]に対する「[[神宮式年遷宮|式年遷宮]]奉賛会」の会長に就任し、他にも多くの審議会などへの参加、各地の企業・研究施設視察や講演活動を続けている。
[[日本銀行]]の総裁人事を巡り与党の[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]と野党の[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]が対立し、2008年3月に同総裁が空席となった際には「金融不安の中、日本が国際的責務を果たせるかが危ぶまれる」「(与野党は)国民目線での議論に立ち返るべき」と苦言を述べ、民主党にも経済問題を重視した協調路線への政策転換を求めた<ref>[http://www.tokyo-cci.or.jp/kaito/coment/2007/200312.html 日銀総裁人事政府案の参院否決に対する岡村会頭コメント] 東京商工会議所 会頭コメント 2008年3月12日付</ref>。
 
また、2008年2月には[[伊勢神宮]]の[[遷宮]]に対する「[[神宮式年遷宮|式年遷宮]]奉賛会」の会長にも就任し、他にも多くの審議会などへの参加、各地の企業・研究施設視察や講演活動を続けている。
 
== トピックス ==
ラグビー選手としての体験から、勝利によって初めて真のチームワークが完成するという哲学を持ち、企業経営にもこれを反映させている<ref>[http://www.bs-j.co.jp/chokugeki/backnumber/back_050206.html 「直撃!トップの決断」] [[BSジャパン]] 「直撃!トップの決断」バックナンバー</ref>。また、社長就任後も積極的に各事業所を訪問し、生産や販売現場の状況把握や社員との対話を進めたとされる一方、自分の後継者となる次期社長の決定では、パソコン部門での成功を収めた[[西田厚聰]]を推薦した上で社内の指名委員会が決定するという、アメリカ的な人事の透明性を確保する制度の導入を進めた<ref>J-CASTニュース 2006年3月6日付 [http://www.j-cast.com/2006/03/06000554.html]</ref>。
パソコン部門での成功を収めた[[西田厚聰]]を推薦した上で社内の指名委員会が決定するという、アメリカ的な人事の透明性を確保する制度の導入を進めた。<ref>J-CASTニュース 2006年3月6日付 [http://www.j-cast.com/2006/03/06000554.html] </ref>
 
2001年に東芝の社内企業(部門別企業)である東芝・家電機器社が[[アムウェイ|日本アムウェイ]]と[[OEM]]供給を結び、これをアムウェイ側が「戦略的提携」と発表しようとした際、岡村は本社の社長としてこれに強い不快感を示し、同発表を取りやめさせた上で、OEM供給自体も全自動洗濯乾燥機の1商品のみで打ち切らせた。これは岡村が[[マルチ商法]]([[連鎖販売取引]])と呼ばれるアムウェイの販売手法に根深い不信感を持っていたためとされている<ref>[http://www.nikkeibp.co.jp/archives/130/130865.html 東芝が発表を延期した日本アムウェイとの「握手」] 日経BPネット 2001年5月23日付 </ref>。