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従来、左翼による[[反日思想]]の根拠とされたのは、いわゆる「[[明治]]以降の[[日本帝国主義]]が為した悪行」であった。一方、「反日亡国論」では、歴史をはるかに遡って、日本国の建国そのものを否定し、その国家と民族の絶滅を主張する<ref name="chianforum">治安フォーラム別冊『過激派事件簿40年史』[[立花書房]]、2001年</ref>。[[反ユダヤ主義]]に匹敵する過激思想であるが、反ユダヤ主義はユダヤ人以外の人々によるユダヤ人・ユダヤ教への差別思想であったのに対し、こちらは他でもない「日本人」自身が日本と日本人を否定する思想に傾倒していったという点で相違がある。
 
いわゆる「日本人」は、己が「抑圧者・犯罪民族」たる[[日帝本国人]]であることを充分自覚し、[[自己否定論|自己否定]]していかなくてはならない。日本は償いきれない犯罪を積み重ねてきた反革命国家であり、醜悪な恥晒し国家・民族であるので、日本を祖国と思うこと自体が最大の反革命思想であり、積極的に民族意識・国民意識を捨て去って「[[非国民]]」になれと説く。<ref name="yatteinai">やっていない俺を目撃できるか!編集委員会編『やっていない俺を目撃できるか! 北海道庁爆破犯人デッチ上げ事件』三一書房、1981年</ref>。そして反日亡国論を全面的に受け入れて反日闘争の闘士となることで、初めて「抑圧者・犯罪民族」という「[[原罪]]」から解放されるとする<ref name="chianforum" />。
 
また従来の左翼には[[帝国主義]]下の自国の敗戦を望む「[[革命的祖国敗北主義]]」という考え方があるが、革命的祖国敗北主義はあくまでも革命成就のための「'''手段'''」であるのに対し、反日亡国論は「日本滅亡」そのものが「'''目的'''」であることが大きく異なる。
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[[皇室]]の起源は[[騎馬民族征服王朝説]]に基づき大陸から渡来したとされる。つまり日本全土が侵略で得た征服地であるとする。「被征服民」は、やがて皇室に連なる「天孫民族」と同化し農耕民族となり、同化を拒否した一部「被征服民」は[[部落民]]となった<ref name="umenai" />。中世以降も南北に着々と侵略を進めていき、明治になって「[[アイヌモシリ]]」や[[琉球王国]]を併呑し、内地における侵略を完了させた。
 
このように、日本国の歴史はまさに「侵略と搾取の歴史」に他ならないとされる<ref name="kurokawa" />。このような「侵略の伝統」があるからこそ、日本によるアジア・世界侵略が起こったのだとする。<ref name="yatteinai" />
 
また左翼歴史家の中には、「民衆史観」といって[[自由民権運動]]などの民衆から湧き上った[[政治運動]]を高く評価する者がいるが、これら民衆も所詮は「犯罪国家・日本」の構成員にすぎず、[[アイヌ]]や[[琉球民族]]の犠牲の上に生活が成り立っているとし、これらの政治運動も全面否定している。[[1918年]]に発生した[[1918年米騒動|米騒動]]も植民地人民から米を収奪するきっかけを作りだした、単なる「米暴動」に過ぎないと切り捨てている<ref name="yatteinai" />。
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=== 日本文化の否定 ===
従来の左翼は[[天皇]]や[[日の丸]]や[[君が代]]は否定しても、[[京都]]に代表される[[日本の文化]]そのものは肯定している者が多い(例えば、京都府選出の[[日本共産党]]幹部[[穀田恵二]]の[[和服]]着用など)。反日亡国論では、日本文化に誇りを感じること自体が罪悪であり反革命であるとし、[[平安京]]遷都を成した[[桓武天皇]]を祭る[[平安神宮放火事件|平安神宮の放火事件]]を称揚している<ref name="yatteinai" />。
 
=== 日本における労働運動の否定 ===
戦後の[[高度経済成長]]により、大多数の日本国民が「ブルジョア的」な生活を享受できるようになったが、これらの原資は「世界中の人民から搾取された富」によって成り立っている。よって「生活改善運動」「賃上げ運動」に代表される日本の[[労働運動]]などというものは、「強奪品の分け前をもっとよこせ」という「略奪民族・日本人」の「心貧しき願望」の表れであり、反革命であるとする<ref name="yatteinai" />。
 
=== 階級的観点の否定 ===
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=== 日本打倒戦略 ===
[[ベトナム戦争]]で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の国力が消耗した故事に倣い、日本を戦争に巻き込ませる。そのきっかけとなる国は大韓民国である。まず手始めに韓国人の[[韓国の民族主義|排外的韓国民族主義]]を煽ることで[[反日感情]]を醸成、[[韓国軍]]の[[クーデター]]を誘発させて「親日政権」を打倒韓国に巣食う「[[親日派]]」を粛清する。そして「反日軍事政権」が日本に宣戦布告するというシナリオし、最低ある。韓国も10万人対日侵略戦争に続いて[[東南アジア自衛隊員]]でも反日感情戦死させ。そして[[日本赤軍]]のネットワークを利用して、アラブ諸国の日本向けの原油輸出を阻止し、かつての[[ABCD包囲網]]のように「反日包囲網」が日本を取り囲み、自滅を促すというものシナリオである<ref name="umenai" />
 
同時に「琉球共和国」が独立を宣言する。そして日本やアメリカに宣戦を布告し、韓国とともに対日侵略戦争に参戦する。そして「アイヌ・ソビエト共和国」も独立を宣言し、「北方領土返還」などとアイヌを無視した主張を展開して「思い上がって」いる[[北海道]]在住500万人の[[和人]]を[[大量虐殺|殺戮]]する。
 
また[[東南アジア]]でも反日感情を煽る。そして[[日本赤軍]]のネットワークを利用して、アラブ諸国の日本向けの原油輸出を阻止し、かつての[[ABCD包囲網]]のように「反日包囲網」が日本を取り囲み、自滅を促すというものである<ref name="umenai" /><ref name="oota">太田竜『辺境最深部に向かって退却せよ!』三一書房、1971年</ref>。
 
== 社会に与えた影響 ==
日本人に対する[[民族差別]]思想にまで行き着いており、現在では日本新左翼が生んだ異様な反日カルト思想として扱われている。ちなみに命名者の大森勝久は、現在では「悪魔のような思想」と断じ、[[転向]]している<ref name="oomori">[http://1st.geocities.jp/anpo1945/sennousarete.html 私の左翼時代ー洗脳されて革命運動に参加]</ref>。また[[佐々木俊尚]]は「狂気」「あさっての方向」「もはや常識では推し量れないほどの極端な哲学」「奇怪な論理」と評したり<ref name="sasaki" />、[[森口朗]]は「異常な感性」「日本人でありながら日本を呪う思想」「反日暴力思想」と断罪している<ref name="moriguchi">[[森口朗]]『なぜ日本の教育は間違うのか ~復興のための教育学~』扶桑社、2012年</ref>。
 
しかし、その後の日本における左翼団体の多くは、この反日亡国論の思想影響を多かれ少なかれ基本受けている。この頃から、反日思想を持つ特定の[[社会弱者]]([[太田竜]]の表現でいえば「窮民」)を殊更に絶対視し、それに対する異論を許さベースい風潮が台頭し始めた。佐々木俊尚はこの反日亡国論や[[窮民革命論]]がもたらした弱者至上主義の風潮のこを「マイノリティ憑依」という表現を用いて説明している<ref name="sasaki" />実際に一部の左翼は[[東アジア反日武装戦線]]などの反日テロ集団の支援活動を行ったりしている。
 
反日亡国論による反日テロは[[1980年代]]までに鎮静化したが、前項「日本打倒戦略」で触れられているように、アジア諸国など諸外国民の反日排外主義を煽ることで左翼運動を有利に進めて行こうとする活動は、このころから盛んになり始めた(例えば[[アジア共同行動・日本連絡会議]]を参照)。これら左翼の目論見は大多数の国では失敗に終わっているが、一部のアジア諸国(いわゆる[[特定アジア]])では反日排外主義の台頭など効果が現れ、[[2000年代]]以降[[2005年の中国における反日活動]]や[[ソウル日本人学校園児襲撃事件]]などの反日暴動や[[ヘイトクライム]]が続発するようになった。
 
また前項「海外人権問題への不介入」は、特定アジア三国の人権侵害に及び腰の姿勢となって表れている。かつての[[日本社会党]]は「[[北朝鮮による日本人拉致問題|我が共和国による日本人拉致]]は事実無根」という[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]政府の主張意見を代弁し続けた([[社会民主党_(日本_1996-)#北朝鮮による日本人拉致事件への姿勢]]を参照)。[[2002年]]の[[日朝首脳会談]]で[[金正日]]が正式に認めたことで、社会党の後継政党である[[社会民主党_(日本_1996-)|社会民主党]]は猛烈な非難を浴び、[[衆議院]]の獲得議席数が一桁に転落する大きな要因となった。
 
一方、この思想は[[オカルト]]業界にも影響を与えた。反日亡国論を理論づける史観に「[[日本原住民論]]」というものがあり、彼らは「天皇中心史観」に対抗するために「[[記紀]]以前の歴史を伝える」とされる[[古史古伝]]に関心を持つようになった。
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== 参考文献 ==
* 太田竜『辺境最深部に向かって退却せよ!』三一書房、1971年
* やっていない俺を目撃できるか!編集委員会編『やっていない俺を目撃できるか! 北海道庁爆破犯人デッチ上げ事件』三一書房、1981年
* [[高沢皓司]]・[[佐長史朗]]・[[松村良一]]編 『戦後革命運動事典』新泉社、1985年