「琉球神道」の版間の差分

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民俗学者の[[折口信夫]]は著作「琉球の宗教」の冒頭で、琉球の宗教を[[袋中]]以来の慣用によつて琉球神道の名で話を進めたいと断った後、琉球神道は日本本土の神道の一つの分派、あるいはむしろ巫女教時代のおもかげを今に保存していると見る方が適当な位であると述べた<ref name="ryushu1">折口信夫「琉球の宗教」 「 一 はしがき」より。「琉球の宗教」は折口信夫が[[大正]]12年([[1923年]])5月に『世界聖典外纂』で発表した論文。発表時は全6章の論文であったが、[[昭和]]4年([[1929年]])4月に『古代研究』へ掲載された際には、現在の全10章に増補されている。「琉球の宗教」は『折口信夫全集2 古代研究(民族学篇1)』1995年に所収されている。</ref>。
 
鳥越憲三郎は『琉球宗教史の研究』の中で、琉球宗教の二大潮流をなすものは御嶽信仰と火神信仰であるとし<ref name="shukyoushi2-1-1">『琉球宗教史の研究』1965年 「第2編 神と門族 第1章 門族の成立 第1節 火神の本質」より。</ref>、やがて火神(ヒヌカン)は日神(テダ)と同一視され、[[按司|按司(アジ)]]や国王の実権の所在を表徴する役割を持つに至ったと述べている<ref name="shukyoushi2-5-1">『琉球宗教史の研究』1965年 「第2編 神と門族 第5章 王火の思想 第1節 政治的実権と殿」より。</ref>。
 
宮里朝光「琉球人の思想と宗教」によれば、琉球の固有宗教は、個人的な幸福を祈願するのではなく、社会及びそれを支える生活や生産について祈願し祝福するもので、社会が平和になれば個人は幸福になれると考えたのだと言う。その固有信仰は、祖霊神、[[祖先崇拝]]、火神、ニライ・カナイ、[[おなり神 ]]、水のセジ、万物有霊などがあるが、拝む対象の日月星辰を通して現世に益をもたらす祖霊に報本反始するものであると述べている<ref name="shisou3">宮里朝光「琉球人の思想と宗教」 「三、固有宗教」より。「琉球人の思想と宗教」は『沖縄の宗教と民俗 : 窪徳忠先生沖縄調査二十年記念論文集』1988年に所収されている。</ref>。
 
このように琉球は特有の信仰を有している。以下、その固有信仰などについて解説する。
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=== ヲナリ神 ===
琉球の女性一般は全て巫女的ないし神的素質を生得的・本有的に持つものと信じられているが、その好例が'''ヲナリ神'''信仰である。「ヲナリ」とは琉球語で姉妹(ウナイ)を意味し、同胞の姉妹は、その兄弟(イキガ)の守護神であると信じられている。従って琉球の全女性は兄弟を持つ限りにおいてヲナリ神となるわけである。ヲナリ神の信仰は琉球宗教の基本概念の1つとなっており、『[[おもろさうし]]』の中にもヲナリ神を詠った[[おもろ]]が数多く見られる。琉球においては、政治的実権者とその姉妹から選ばれた巫女による祭政一致の政教二重主権が見られるが、これはヲナリ神の信仰に基礎付けられたものである。ヲナリ神信仰は他の民族では既に見られなくなったが、古くは何れの民族もかかる信仰を持っていたのではなかろうか、と鳥越憲三郎は述べている<ref name="shukyoushi3-1-2">『琉球宗教史の研究』1965年 「第3編 巫女組織 第1章 巫女の起源 第2節 ヲナリ神の信仰」より。</ref>。
 
(詳しくは[[おなり神]]参照)
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:前述のとおり、琉球には御嶽などにおいて部落や村落の公的祭祀や共同体の祈願行事の司祭をおこなう'''祝女(ノロ)'''と呼ばれる女神官が存在する。
:[[#御嶽|御嶽の節]]で述べたように、村落は守護神となる氏祖が祀られた御嶽を中心に形成されたが、その最も近き血縁者にして神の代弁者である家が根所(ニードゥクル)と呼ばれ、村を支配指導する実権を掌握した。根所は御嶽の神の代弁者として実権を代行する機関となったため、神託を受ける者と、その神託によって村を治める者が必要になった。この時、神託を受けたのは根所の女子から選ばれた根神(ニーガン)で、神託をもとに政治的実権を行使したのは根神の兄弟であり根所の戸主である根人(ニーチュ)であった。ここに妹(或は姉)の神託をもとに兄(或は弟)が治める政教二重主権が生まれた。この政教二重主権はヲナリ神信仰を基定として成立したと考えられる<ref name="shukyoushi1-2-2">『琉球宗教史の研究』1965年 「第1編 神と村落 第2章 村落の実権 第2節 根所の実権」より。</ref>。
:やがて村々を併合した[[按司|按司(アンジ)]]と呼ばれる地方的実権者が現れるようになるが、按司もまた彼の姉妹から宗教的実権者たる巫女を選出した。これが祝女(ノロ)である。あるいは尊称を付してノロクモイと呼ばれた<ref name="shukyoushi1-4-2">『琉球宗教史の研究』1965年 「第1編 神と村落 第4章 城郭時代の御嶽 第2節 教権の更迭」より。</ref>。しかし、さらに時代が進むと地方実権者の1つである中山国により琉球統一がおこなわれ、その中央集権化政策によってノロは[[聞得大君]]を頂点とした官僚的神官組織に組み込まれることとなる<ref name="shukyoushi3-4-1">『琉球宗教史の研究』1965年 「第3編 巫女組織 第4章 国家時代の巫女組織 第1節 中央集権と宗教改革」より。</ref>。この聞得大君も王の姉妹から選ばれ、統一王統においても兄妹による政教二重主権がおこなわれた<ref name="shukyoushi1-2-2" />。
:ノロや根神など神人は、神が降臨する聖地の御嶽で神懸りしながら神意を霊感し、それを地域社会の住民に伝達した<ref name="kenkyuge7-1-3">『桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐』1988年 「第7章 召名巫の生態と入巫‐沖縄のユタ‐ 第1節 沖縄のシャーマン‐ユタとユタマンチャー‐ 3 ユタの成立」より。</ref>。鳥越憲三郎は、琉球において巫女は神の顕現として、具象的な神の姿において民衆の前に現れ、しかもその時は自他ともに神そのものと認める存在として託宣を聞いたと述べている。すなわち神が憑依した者としての巫女に先行して、神そのものとしての巫女が存在しており、琉球の多くの文献に見られる神々の出現は、神そのものとしての巫女を指してるのだとしている<ref name="shukyoushi3-2-3">『琉球宗教史の研究』1965年 「第3編 巫女組織 第2章 巫女の本質 第3節 巫女の神性」より。</ref>。