「石原慎太郎」の版間の差分

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== 学生時代 ==
『[[太陽の季節]]』を引っ提げて華々しくデビューしたとき、[[マスメディア|マスコミ]]は慎太郎をこぞってとりあげた。「五つの道をゆく“石原慎太郎”批判」と題し、9ページもの大特集を組んだ『[[サンデー毎日]]』 (1956年9月9日号) もその一つだった。この記事の中に、[[江口朴郎]]に師事していた湘南高校時代の慎太郎の[[左翼]]活動に関する一節がある。
 
<blockquote>慎太郎が高校一年の時だった。[[学生運動]]が盛んになろうとしていた1948年に、民主学生同盟にいち早く入り、学内に社会研究会を作った。[[日本共産党]]へのヒロイックな気持にかられていた時、母は“[[大衆]]のために両親や弟を、そして地位も財産も捨て、獄につながれても後悔しない自信があるなら、私は反対しないが、その覚悟をしてほしい。それならお父さんが、どんなに反対しても、私は賛成する”この言葉にそのあくる日から彼は[[学生運動]]を離れている<ref>『サンデー毎日』 1956年9月9日号」</ref>。</blockquote>