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'''ピエール=シモン・ラプラス'''('''Pierre-Simon Laplace''', [[1749年]][[3月23日]] - [[1827年]][[3月5日]])は、[[フランス]]の[[自然科学者]]、[[数学者]]、[[物理学者]]、[[天文学者]]。「天体力学概論」(traité intitulé Mécanique Céleste)と「確率論の解析理論」という名著を残した。 [[1789年]]にロンドン[[王立協会]]のフェローに選出された<ref>{{FRS |code = NA5191 |title = Laplace; Pierre Simon (1749 - 1827); Marquis de Laplace |accessdate = 2012-03-28 }}</ref>。▼
== 人物 ==
▲'''ピエール=シモン・ラプラス'''('''Pierre-Simon Laplace''', [[1749年]][[3月23日]] - [[1827年]][[3月5日]])は[[フランス]]の[[数学者]]。「天体力学概論」(traité intitulé Mécanique Céleste)と「確率論の解析理論」という名著を残した。 [[1789年]]にロンドン[[王立協会]]のフェローに選出された<ref>{{FRS |code = NA5191 |title = Laplace; Pierre Simon (1749 - 1827); Marquis de Laplace |accessdate = 2012-03-28 }}</ref>。
「天体力学概論」は、1799年から1825年にかけて出版された全5巻の大著で、[[剛体]]や[[流体]]の運動を論じたり、[[地球]]の形や[[潮汐]]の理論までも含んでいる。数学的にはこれらの問題はさまざまな[[微分方程式]]を解くことに帰着されるが、方法論的にも彼が発展させた部分もあり、特に[[誤差]]評価の方法などは彼自身の[[確率論]]の応用にもなっている。また、現在[[ベイズの定理]]として知られているものも、ラプラスが体系化したものであるので、[[トーマス・ベイズ|ベイズ]]よりもラプラスに端を発するという見方も強い。
[[国際度量衡委員会]]の委員として、[[長さ]]の尺度として[[地球]]の[[北極点]]から[[赤道]]までの[[子午線弧]]長を精密に[[測量]]し、その1000万分の1をもって基準とすることを提唱した。これが後の[[メートル]]の定義の基礎となった。
[[ラプラス変換]]の発見者である。
[[ラプラス変換]]の発見者。[[決定論]]者としても知られる。これから起きるすべての現象は、これまでに起きたことに起因すると考えた。ある特定の時間の宇宙のすべての粒子の運動状態が分かれば、これから起きるすべての現象はあらかじめ計算できるという考え方である([[ラプラスの悪魔]]を参照)。しかし、ラプラスの死後登場した[[量子論]]では、[[コペンハーゲン解釈]]が正しいとするならば、この考え方は成り立たないとされている。▼
他に、ラプラスの[[星雲説]]などで知られる。ラプラスの名前にちなんだ用語として、[[ラプラシアン]](ラプラス作用素)、[[ラプラス方程式]]などがある。
数学上の偉大な業績には遠く及ばないが、ラプラスは政治家としても活動している。1799年、[[ナポレオン・ボナパルト]]の[[統領政府]]で一ヵ月余の短期間ながら[[内務大臣]]に登用され、王政復古後は[[ルイ18世]]の下で貴族院議員となった。
== 決定論 ==
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ラプラスの言う「ラプラスの悪魔」とは、「ある瞬間における全ての[[物質]]の[[力学]]的状態と[[力]]を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の[[知能|知性]]<ref>ピエール=シモン・ラプラス、『確率の解析的理論』、1812年</ref>」(すなわち因果的に決定された未来を完全に見通すことができる者)の存在を仮定した空論上の[[概念]]的存在である。
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
* [[メートル法]]
== 脚注==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
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{{アカデミー・フランセーズ|8|10|1816|1827|ミシェル=ルイ=エティアンヌ・レニョー・ド・サン=ジャン・ダンジェリー|ピエール=ポール・ロワイエ=コラール}}
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[[Category:アカデミー・フランセーズ]]
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