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210. (会話 | 投稿記録)
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=== 電車 ===
1948年の電化により、[[南海電気鉄道|南海電鉄]]の中古車を購入したのを皮切りに、気動車の改造や大手私鉄からの購入で増備され、木造車の鋼体化も進み、廃止時までの主力となった。車体色は始め茶色だったが、その後茶とクリームの2色に。となり、最後は下段水色、上段クリームの塗り分けとなった。
 
* '''モハニ1000型 1001号''' - 1907年日本車両製。もとは南海電1型3号(のちデホ30号)。1948年、当時運輸省が行った[[国鉄63系電車|国電モハ63型]]の私鉄割り当てに対する中小私鉄への供出車として南海から淡路鉄道に譲渡されたものである。1931 - 33年の間に南海から[[加太電気鉄道]]に売却され一時デホ30と名乗っていたが、戦時中、加太電気鉄道が南海に吸収合併されて、再び南海籍になり、またしても淡路鉄道に渡るという流転の経歴を持っていた。正面3枚窓、[[ダブルルーフ]]の木造車。最大寸法高さ15328×長さ2640×幅4007mm。定員100人(座席60人)。自重20.50t・電動機WH-101H50PS×2。ギア比1:493、制御機は東芝製直接式。台車は加藤ボールドウィン、パンタグラフは洲本寄りに設置。1953年制御車クハ101となる。
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* '''モハニ2000型 2006号''' - 旧ガソリンカーキハニ1号。1947年電車化。電動機TDK85PS×2。制御器東洋電機製DBI-K4型直接式。モーターは床下のシャフトを用いて動かしていた。[[集電装置]]はビューゲルだったが1948年の竣工に際しては、パンタグラフに改められた。1955年、台車をブリル27GEIに、電動機WH-10150ps×4(旧1002号のものを再利用)、制御器をPC-12A型総括式、制動器をAMJ自動ブレーキとし、片運転台化。1957年、洲本側を貫通化、制御器をMK総括式。1958年にはドアエンジンとした。総括式後はクハ111と組んで使用された。
* '''モハニ2000型 2007号(のちモハ2007号)''' - 旧ガソリンカーキハニ6号。1948年電車化。電動機は2006号と同じTDK85PS×2。制御器は東洋電機製DBI-K4型。モーターは床下のシャフトを使用。1955年竣工時にはさらに、近鉄式軌条塗油装置が取り付けられていた。1956年には制御器をPC12型カム軸式、AMJ直通ブレーキとし、[[直角カルダン駆動方式|直角カルダン式]]の駆動装置が取り付けられた。このとき最大高4150mm、自重21.1tとなる。1958年、手荷物室を廃止して形式をモハに変更。乗務員扉を従来の運転台側のみから反対側にも設置され、ドアエンジン装備も行われた。1962年貫通化工事完成。のち電動機もTDK-516A×2であった。他の電車との連結は行われなかった。
* '''モハニ2000型  2008号  (のちモハ2008号)''' - 旧ガソリンカーキハ二5号 1950年電車化。制御器KR-8、電動機50PS×450PS×4、台車ブリル772E(旧1004号)、自重21・0t、21.0t。1954年、運輸省の補助金を受けて駆動方式を[[垂直カルダン駆動方式|垂直カルダン]]に改造したが、中小私鉄が当時最新式の駆動形式をとるという大英断であった。同時に台車はDT10に、電動機は神戸製鋼製TBQ-25,75PS×4に、制御器をRPC101型にそれぞれ改造した。自重26・2t。26.2t、最大高4400㎜4400mmとなる。1955年には台車を改造台車枠と釣合梁を振動防止のためのゴムで挟むイコライザ止めで結び、軸受けをコロ軸にするなどの改良を行い、自重23・8t。23.8t、最大高4320㎜4320mmとなる。1958年、荷物室を撤去し、形式をモハに変更。乗務員扉を従来の運転台側のみから反対側にも設置されして、貫通化、ドアエンジン装備を行い、自重24・0t24.0t、定員100人(座席42人)最大高4270㎜4270mmとなる。この車両も仕様が他社と異なるため連結は行われなかった。
 
== その他 ==