「アルミニウス主義」の版間の差分

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'''アルミニウス主義'''(アルミニウスしゅぎ)は、[[オランダ改革派]]出身の[[ヤーコブス・アルミニウス]]が[[カルヴァン主義]]の[[予定説]]に疑問を持ったことから生まれた、修正主義[[カルヴィニズム|カルヴィニスト]]、カルヴィン主義傍流である。
 
論争途中で亡くなったアルミニウスの死後、[[1610年]]に、彼の支持者たちが、[[ウーテンボハールト]]を中心に自分たちの信条を定めた『建白書』(Remonstrantie)を提出、アルミニウス主義の認可を政府に求めたことから、'''[[レモンストラント派|レモンストランス]]'''と呼ばれた。この問題を解決するために[[1618年]]に[[ドルトレヒト会議]]がもたれたが、この会議では、アルミニウス主義は、少数派であったために、公式に認められなかった。現在では、[[メソジスト]]、[[ホーリネス]]などがこの立場を取っている。
 
== 特徴 ==