「厨子甕」の版間の差分

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===御殿型===
*赤焼御殿型厨子甕
[[File:Akayaki udun zushigame1776.jpg|thumb|赤焼御殿型厨子甕(1776年)]]
:家型をした陶製厨子甕を御殿(うどぅん)型と呼ぶが、赤焼御殿型厨子甕は御殿型の最初に出現するタイプである。時期は18世紀前半からで、それ以前の石厨子をそのまま陶製にしたような形をしている。蓋は屋根の形をしていて初期のものは入母屋で、胴部は前面に2体の法師像が張り付けられている。屋根には瓦は刻まれておらず、しゃちほこも小さめで形姿も稚拙である。
:蓋が寄棟の形をしたタイプは[[乾隆]]年間の1770年代に集中し、瓦も彫り込まれしゃちほこの下には獅子頭の[[鬼瓦]]が付き、胴部には法師像が2ないし4体張り付けられている。正面中央には入口をかたどった穴が穿たれている。全面に石灰塗装を施し、その上から蓮華や幾何学紋様を朱や墨で描いている。
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:赤焼御殿型の次に登場するタイプである。全面にマンガンを掛け黒っぽく[[焼締め]]している。屋根のしゃちほこには鱗をつけ、胴部には法師像や蓮華を張り付けるなど、前代より形の整った、より手の込んだ仕上がりとなっている。屋根は二層になったものが多く、瓦を描き、入母屋もしくは[[切妻屋根|切妻]]の変形と思われる形をしている。時期は19世紀前半から中頃に集中している。
*上焼本御殿型厨子甕
[[File:Ameyu zushigame1826.jpg|thumb|上焼本御殿型厨子甕(1826年)]]
:釉薬を掛けたタイプである。化粧掛けの上に、飴釉(飴色)、緑釉(緑色)、呉須(コバルト色)を用いた色彩豊かなものが多い。屋根は寄棟や重層になった入母屋の変形で、しゃちほこを乗せ、獅子や龍を屋根の上に配している。胴部には蓮華や五弁花を張り付ける。
:玉陵にある[[尚敬王]]以降の歴代国王の厨子甕はこのタイプで、屋根は尚敬王が入母屋、それ以降は寄棟でいずれも単層である。しゃちほこは大型で瓦は丹念に彫り込まれている。全体に飴釉を掛け、胴部には蓮華を張り付け、正面中央に国王名を金箔押している。このタイプの厨子甕は厨子甕中の白眉である。