「インディアン戦争」の版間の差分

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テクムセが南部に行って、クリーク族、チェロキー族および[[チョクトー]]族の中で同盟者を募っている間に、ハリソンはインディアン同盟に戦いを挑み、[[1811年]]の[[テカムセの戦争#ティッペカヌーの戦い|ティッペカヌーの戦い]]でテンスカタワたちを打ち破った。合衆国はこの勝利で武力による抵抗が収まることを期待したが、テクムセたちはイギリス軍と同盟して、[[米英戦争]]の中で合衆国に対する戦いを始めた。
 
独立戦争の時と同様に、米英戦争では西部戦線で大規模なインディアン戦争となった。テクムセに同調したクリーク族は、当初クリーク族内の内戦から始まった[[クリーク戦争]]で合衆国の拡張政策に激しく抵抗することになった。米英戦争におけるイギリスとの戦いは手詰まりの様相を呈したが、合衆国は西部戦線ではそこそこの成功を収めた。テクムセは[[テムズの戦い]]でハリソン軍に殺され、北西部での抵抗は終わった。合衆国に反攻したクリーク族も敗れた。[[1818年]]の[[セミノール戦争#第1次セミノール戦争|第一次[[セミノール戦争]]はある意味でクリーク戦争の延長であったが、最終的には[[1819年]]に合衆国がフロリダを占領することになった。
 
[[画像:Andrew jackson head.jpg|thumb|left|[[アンドリュー・ジャクソン]]。「インディアンは滅ぼされるべき劣等民族である」と演説し、[[クリーク戦争]]の[[ホースシュー・ベンドの戦い]]に勝って、インディアン強制移住の推進者になった。]]
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「インディアン移住法」とは、「インディアンを白人のいない西部の[[インディアン準州]](現[[オクラホマ州]])に強制移住させ、連邦政府が信託保留 (reserve) した土地 (Reservation) に住まわせ、そこで白人の社会システムを構築し、白人社会に同化させる」という[[民族浄化]]政策である。「これに従わない場合、そのインディアン部族は絶滅させる」とジャクソンは宣言した。
 
こうして多くのインディアン移住条約が武力を背景に結ばれた。インディアンの大半は渋々ながら移住条約の条件に従ったが、苦い諦めということでもあった([[涙の道]])。しかしこれら条約の執行に抵抗して戦闘を始めるものがいた。これらは、[[1832年]]の[[ブラック・ホーク戦争]]と[[1836年]]の{{仮リンク|クリーク戦争 (1836年)|en|Creek War of 1836|label=クリーク戦争}}および長く犠牲も大きい[[セミノール戦争#第2次セミノール戦争|第二次[[セミノール戦争]] (1835-1842) であった。
 
=== アラスカ ===