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[[源頼朝]]討伐の[[富士川の戦い]]、[[源義仲]]討伐の[[倶利伽羅峠の戦い]]等に出陣。[[一ノ谷の戦い]]で、[[源氏]]方の[[岡部忠澄]]と戦い41歳で討死。平家物語によると源氏に紛れる作戦をとっていたが、源氏の多くが付けていない[[お歯黒]]を付けていたので見破られて討たれた。その時箙(えびら)に結びつけられたふみを解いてみると、「旅宿の花」という題で一首の歌が詠まれていた。
 
{{Quote|行(ゆき)くれて木(こ)の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし}}
 
彼が討たれた際、文武に優れた人物を…と敵味方に惜しまれたという。戦の後、忠澄は忠度の菩提を弔うため、[[埼玉県]][[深谷市]]の[[清心寺]]に供養塔を建立している。
 
{{Quote|さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな|千載集六十六}}
 
[[兵庫県]][[明石市]]には、忠度の墓と伝わる「忠度塚」があり、付近は古く忠度町と呼ばれていた(現・天文町)。また忠度公園という小さな公園もある。[[神戸市]][[長田区]]駒ヶ林には、平忠度の腕塚({{ウィキ座標|34|38|55.6|N|135|8|48.4|E|region:JP_type:landmark|地図|name=平忠度腕塚}})と胴塚({{ウィキ座標|34|38|55.8|N|135|8|36.8|E|region:JP_type:landmark|地図|name=平忠度胴塚}})がある(神戸市認定地域[[文化財]])。
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唱歌「[[青葉の笛]]」([[大和田建樹]]作詞、作曲・[[田村虎蔵]])の二番は、俊成に歌を託した忠度を歌っている。
 
{{Quote|更くる夜半に 門(かど)を敲き
わが師に託せし 言の葉あわれ
今わの際まで 持ちし箙に