削除された内容 追加された内容
全角数字は使用しない
編集の要約なし
33行目:
|補足 =
}}
'''菊池 孝'''(きくち たかし、[[1932年]][[9月13日]]<ref name="g15">[[小佐野景浩]] 実録・国際プロレス第5回 菊池孝(前編)『Gスピリッツ Vol.15』 pp68-75(2010年、[[辰巳出版]])ISBN 477780772X</ref> - [[2012年]][[9月1日]])は、日本の[[プロレス]][[評論家]]である。プロレス取材歴50年以上の大ベテランで、'''最古参のプロレス評論家'''と呼ばれ<ref name="g15"/><ref>『[[週刊ゴング]]』の評論家座談会「三者三様」では'''激辛プロレス評論家'''の肩書きが用いられた。</ref>。東京12チャンネル(現・[[テレビ東京]])で放送された『[[プロレスアワー|国際プロレスアワー]]』では[[解説者]]を務めた。
 
== 来歴 ==
[[神奈川県]][[横須賀市]]出身。[[立教大学]][[文学部]]英米文学科卒業。[[1956年]]、[[室蘭民報]]に入社して社会部記者となる<ref name="g15"/>。その後、野球雑誌の記者を経て[[1960年]]に[[大阪 (聞)|夕刊新大阪]]でプロレス記者となる<ref name="g15"/>。
 
[[1968年]]にフリーとなり、[[1977年]]から[[1981年]]まで『国際プロレスアワー』(東京12チャンネル)では[[門馬忠雄]]と共に解説者を務めた。『[[週刊プロレス|月刊プロレス&ボクシング]]』の「XX選手に50の質問」や『[[週刊ゴング]]』の最長連載企画だった評論家座談会「三者三様」などの連載、[[レジャーニューズ]]紙でのコラム執筆のほか、多数の著書を上梓している
 
2012年9月1日、誤嚥性肺炎の為に[[東京都]][[新宿区]]の[[国立国際医療研究センター|国立国際医療研究センター病院]]にて死去<ref>週刊プロレスモバイル 2012年9月3日付</ref>。{{没年齢|1932|9|13|2012|9|1}}。
51行目:
印象に残っている外国人レスラーを聞かれ、[[ジョージ・ゴーディエンコ]]を挙げている。桁外れのパワーファイターで礼儀正しい紳士だったと語っている<ref name="g15"/>。
 
[[2006年]]12月31日に[[後楽園ホール]]で行われた『[[インディーサミット#インディーサミット2006〜カウントダウンプロレス〜|インディーサミット2006〜カウントダウンプロレス〜]]』のリング上で、石川一雄([[週刊プロレス]]カメラマン)、木村盛綱(フリーカメラマン)と共にプロレスに功績のある関係者を表彰するプロレス・アワードを受賞した<ref>[http://www00.spnavi.vip.ogk.yahoo.co.jp/fight/other/column/200612/at00011906.html 「プロレス・アワード」の授賞式 インディー・サミット20062006カウントダウンプロレス]- スポーツナビ、2012年8月9日閲覧。</ref>。
 
== 著書 ==