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|通称=パンチョ・ビリャ
|生地=[[
|生年=[[1878年]][[6月5日]]
|没地=[[チワワ州]]
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=== 生まれ ===
彼は[[ドゥ
その後ビリャは盗んだ家畜を売り払っていた経験を生かし、食肉・屠殺業を営んでいたが、チワワ州の財務行政官{{仮リンク|アブラ
=== 革命 ===
[[1911年]]3月にビリャはマデーロを支持し、ディアスの連邦軍との{{仮リンク|シウダ・フアーレスの戦い (1911年)|en|Battle of Ciudad Juárez (1911)|label=シウダ・フアーレスの戦い}}に加わった。5月末にはディアスが大統領を辞任、国外逃亡し11月にはマデーロが選挙の末大統領に就任する。翌年の3月に解放軍のメンバーだった{{仮リンク|パスク
[[1913年]]2月にウエルタは[[クーデター]]を起こし、マデーロを殺害、大統領に就任した。当時チワワ州の知事だったゴンサーレスはウエルタによって逮捕、殺害された。ビリャは自分の理解者がウエルタによって殺害されたことで彼に対する復讐心を燃やした。
ウエルタのクーデターに反対する動きが、[[コアウィラ州]]知事[[ベヌスティアーノ・カランサ]]を筆頭に起こった。ビリャは彼の元に集まった兵達と共に革命軍に加わり、カランサを第一統領とする「護憲軍」が結成された。ビリャは8月にはアセンシオンを出て南に向かい、ナサス湖畔での会議で「護憲軍北部師団」の司令官となる。このころ、[[ジョン・リード]]が北部師団と行動を共にしている。同年10月に、ビリャは奇策によって米国との国境の要衝[[シウダ
10月に革命軍の代表者によるアグアスカリエンテス会議が開催され、{{仮リンク|エウラリオ・グティエレス|en|Eulalio Gutiérrez}}が臨時大統領に指名されるがカランサはこれに反発。ビリャは正規軍の総司令官に任命される。両者は各地で戦火を交えるが、その隙の[[11月26日]]、[[エミリアーノ・サパタ]]の率いるサパタ派が[[メキシコシティ]]を無血占領、[[12月7日]]ビリャ、サパタ、グティエレスの三者会談でサパタ派がメキシコシティを防衛することで合意した。グティエレスはカランサと秘密交渉を行い、ビリャによって処刑指令が出されるが逃亡する。
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