篠原長房(1513年-1573年)は三好氏の家臣。
もとは阿波守護であった細川氏に仕えていたが、三好義賢の力が台頭してくると、その家臣となる。1562年、久米田の戦いで義賢は戦死したが、長房は戦場からの逃走に成功した。その後は義賢の子・三好長治を補佐して足利義栄の擁立など、様々な悪事に手を染めている。
やがて織田信長が上洛してくると、しばらくは三好三人衆と協力して信長と敵対したが、やがて信長の強大さを悟って降伏し、その家臣となった。しかし、それに対して怒った長治が細川真之と協力して攻めて来たため、長房は自害を余儀なくされたのである。