「マルゲリータ・ディ・サヴォイア (マントヴァ公妃)」の版間の差分

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男子継承を優先させたことに、マルゲリータは憤った。元々、男子が優先されるものの女性による公位継承は禁止されていたわけではなく、1531年にモンフェッラート侯位を持っていたマルゲリータ・パレオロガがマントヴァ公[[フェデリーコ2世・ゴンザーガ]]と結婚したことにより、フェデリーコ2世はモンフェッラート侯を名乗るようになったのである。幼いマリアの後見としてマルゲリータは抗議をしたが、フェルディナンド1世の治下で冷遇された。
 
1626年、フェルディナンド1世は妃カテリーナ・デ・メディチ([[トスカーナ大公国|トスカーナ]][[トスカーナの支配者一覧|大公]][[フェルディナンド1世・デ・メディチ]]の次女)との間に子供がないまま没し、後を継いだのは彼の弟で枢機卿だった[[ヴィンチェンツォ2世・ゴンザーガ]]だった。彼も子供がないまま、翌1627年に急逝した。このため、マントヴァ公位をめぐって[[マントヴァ継承戦争]](1627年 - 1632年)が起こり、公国は[[スペイン]]に占領された。
 
マルゲリータの長女マリアは、1627年に[[フランス王国|フランス]]の貴族ヌヴェール公[[カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス (1609-1631)|シャルル・ド・ゴンザーグ=ヌヴェール]]([[ゴンザーガ家]]の傍系)と結婚した。これにより、マントヴァ公位はシャルルのものとなり、彼は[[カルロ1世 (マントヴァ公)|カルロ1世]]としてマントヴァ公およびモンフェッラート侯となった。
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[[Category:サヴォイア=ブレス家]]
[[Category:サヴォイア公女]]
[[Category:ポルトガルの貴族]]