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第一次[[英蘭戦争]]では[[1652年]][[5月29日]]に[[ドーバー]]沖でトロンプ提督のオランダ艦隊と[[ロバート・ブレイク]]提督の[[イギリス海軍|イングランド艦隊]]が衝突して開戦の口火が切られるが([[ドーバーの海戦]])、この時は引き分けに終わりトロンプは一時司令官職を解任され、後任としてウィット提督が任命されたが、[[ケンティシュ・ノックの海戦]]でブレイクに敗北を喫したことでトロンプは復職した。同年12月の[[ダンジュネスの海戦]]ではブレイク艦隊と再戦して勝利し、オランダに[[制海権]]を取り戻した。
 
しかし、[[1653年]]2月から3月にかけて生じた[[ポートランド沖海戦]]で、[[ジョージ・ンク (初代アルベマール公)|ジョージ・ンク]]提督が率いるイギリス艦隊の前にトロンプは大敗し、オランダは制海権を失った。6月の[[ガッバードの海戦]](ノースフォアランドの海戦)でもブレイクに代わって指揮を執ったンク艦隊に再び敗れて、オランダ沿岸の封鎖を許すこととなった。更に8月には再建途中のオランダ艦隊がンク艦隊に発見され[[スヘフェニンゲンの海戦]](テル・ヘイデの海戦)が起こり、激戦の末にオランダ艦隊は大きな被害を出しトロンプも戦死したが、イギリス艦隊の損害も大きく沿岸封鎖を続けることは出来なくなった。
 
トロンプ死後の[[1654年]]、[[ウェストミンスター条約]]が成立し第一次英蘭戦争は終結した。オランダ艦隊はトロンプの下で戦歴を積んだ[[ミヒール・デ・ロイテル]]が引き継ぎ、次の戦争を迎えることとなった。