「真喜志康永」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
空の髪 (会話 | 投稿記録)
空の髪 (会話 | 投稿記録)
41行目:
プロ1年目の{{by|1987年}}は前年のレギュラーだった[[村上隆行]]の負傷もあって[[4月10日]]の[[開幕戦]]に遊撃手として先発出場し、[[村田兆治]]から[[本塁打]]を放つという華々しいデビューを飾る。7月には[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスターゲーム]]に最年長で参加し、[[三塁打]]を含む2安打を記録して敢闘賞を受賞<ref>読売新聞、1987年7月25日付朝刊、P.15</ref>。村上の打撃が不振だったシーズン後半には再び一軍でスタメン起用されるようになった<ref>週刊ベースボール、1988年5月16日号、P.27</ref>。
 
翌{{by|1988年}}は村上が[[外野手]]にコンバートされ、[[安達俊也]]とレギュラーを争いながら遊撃手としてレギュラークラスとなる。7月5日にはピッチアウトされた球に飛びついて決勝スクイズを決めるなど出番を増やしていき、[[10.19]]の両試合を含む76試合にスタメン出場を果たしている。
{{by|1989年}}は[[米崎薫臣]]が入団してライバルが増えたが97試合に先発出場し、[[1989年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも全試合にスタメンで起用された。同年オフの契約更改では年俸が78%増の2,560万円(推定)となっている<ref>読売新聞、1989年12月8日付朝刊、P.19</ref>。その後は徐々に出場機会が減少し、{{by|1993年}}オフには200万円減の年俸1,650万円(推定)で契約を更改した<ref>読売新聞、1993年12月3日付朝刊、P.23</ref>。翌{{by|1994年}}は一軍での出場がなく、同年で現役を引退し、そのまま近鉄で一軍守備走塁コーチを務めている<ref>朝日新聞、1997年12月3日付朝刊、P.25</ref>。