「ジャック・スワイガート」の版間の差分

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しまあじ (会話 | 投稿記録)
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スワイガートは[[1970年]][[4月11日]]に打ち上げられ不運な結果になった[[アポロ13号]]月探査船に乗った3人のうちの1人となった。スワイガートは当初予備搭乗員の一人だったが、発射3日前にケン・マッティングリー飛行士に代わって搭乗任務となった。予備搭乗員の一人であったチャーリー・デュークが[[風疹]]に罹り、マッティングリーだけがその免疫を持っていなかったためだった。NASAは飛行中の如何なる重要な段階にも発病するような事態を望まなかった。
 
この任務は月面着陸としては3回目の試みだったが、機械船の2基ある酸素タンクのうちの一つが爆発した後に中断された。スワイガートは同僚の[[ジム・ラヴェル|ジェームズ・A・ラヴェル]]船長と[[フレッド・ヘイズ|フレッド・W・ヘイズ]]月着陸船操縦士とともに、宇宙での5日と約23時間後にあたる4月17日に無事地球に帰還した。3人は1970年に[[大統領自由勲章]]を受章した。13号は{{仮リンク|自由帰還軌道|en|Free return trajectory}}をとったため、月の裏側を回る際、他の月飛行よりもおよそ100kmほど高い軌道を通った。このため、これが現在までのところ人間が地球から最も遠く離れた記録となっている。
 
スワイガートは当初[[アポロ・ソユーズテスト計画]]の[[アポロ司令・機械船]]操縦士として内示を受けていたが、アポロ15号切手スキャンダルに関わったことで罰として外された。スワイガートは議論の多いこの事件に直接関わってはいなかったが、事件後の捜査で類似した計画への関与を最初から否定していた。スワイガートに不利な証拠が出てきたときに[[ドナルド・スレイトン|ディーク・スレイトン]]に告白し、その結果広報活動の観点から望ましくないと考えられた。