「神楽坂はん子」の版間の差分

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'''神楽坂はん子'''(かぐらざかはんこ [[1931年]]‐[[1995年]])は昭和期の[[芸者]][[歌手]]。本名は鈴木玉子。
 
 東京都出身。両親の反対を押し切り、神楽坂で芸者をしていたところに作曲家の[[古賀政男]]がやってきて、「私、芸術家って大嫌い」と発言したり、その竹を割ったような性格が気に入られ、コロムビアへスカウトされた。昭和27年に古賀作品の「こんな私じゃなかったに」でデビューする。同年の、[[江利チエミ]]の「テネシー・ワルツ」に対抗して作られた「ゲイシャ・ワルツ」が大ヒット。一躍スター歌手となる。その後も「見ないで頂戴お月様」「こんなベッピン見たことない」などのヒット曲を放つ。ものまねで[[神楽坂浮子]]という歌手も登場するほどの人気ぶりだったが、昭和30年に身許引受人の意向で引退。公には結婚のための引退だと報道された。昭和40年代に入り懐メロブームが来るとはん子も復帰し、「ゲイシャ・ワルツ」を披露したり、コロムビアでかつてのヒット曲をステレオで再録音したりもした。が、だんだんと消息が聞こえなくなり、[[1995年]]6月10日、川口市の自宅で一人ひっそりと肝臓癌のため亡くなっていた。一人暮らしの自宅には焼酎が散乱していたという。