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江戸時代の北陸道の宿場名の明示 (近江国・鳥本宿~越後国高田宿)
越後国・高田宿~信濃国・追分宿 間の宿名の明示
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=== 江戸時代 ===
[[江戸時代]]になると、畿内から北東に琵琶湖東岸の中山道(律令時代の[[東山道]])を進んで、[[鳥居本宿|鳥居本]](現在の[[彦根市]]鳥居本)または[[番場宿|番場]]([[米原市|米原]])で分岐し、北上して[[日本海]]側を縦貫して[[越後国]]へ至った<ref>以下に近江国・''''''宿(原典では鳥本宿)から越後国・'''高田'''宿までを示す。(宿名は出典の表記に拠ったまた便宜上番号を付し、国境の宿は国名も表示した)1
 1鳥本,2[[米原]],3[[長浜]],4木本(きのもと),5魚梁瀬(やながせ),6椿井(つばい),7(近江)中河内(なかのこうち),8(越前)板鳥,9[[今庄]],10湯尾(ゆのお),11鯖波(さばなみ),12脇本(わきのもと),13今宿,14府中,15鯖江,16麻生津(あそうつ),17[[福井市|福井]],18舟橋,19長崎,20[[金津町|金津]],21(越前)細呂木,22(加賀)橘,23大正持(たいしょうじ),24作見(さくみ),25轟(とどろき),26月津,27[[小松]],28寺井,29水島,30松任(まつとう),31野々市(ののいち),32[[金沢市|金沢]],33津畑(つばた),34(加賀)竹橋(たけのはし),35(越中)今石動(いまゆするぎ),36[[高岡市|高岡]],37小杉,38[[富山]](とやま),39水橋,40[[滑川]](なめりかわ),41[[魚津]],42三日市,43浦山,44舟見(ふなみ),45泊(とまり),46(越中)堺,47(越後)市振,48[[親不知]],49宇多,50遠海,51[[糸魚川]],52鍛冶屋川,53能生,54夕立,55有間川,56長浜,57中屋鋪,58[[高田]](寺島良安『[[和漢三才図絵]]』吉川弘文館、1906年復刻、891頁近江国,873頁越前国,869頁加賀国,841頁越中国,837頁越後国の各項より。)</ref>。狭義の北国街道は、中山道・追分宿から[[直江津]]までの道路を指す事もあり、これは<ref>'''[[北国街道 (信越)|善光寺街道]]高田'''とも呼ばれ、[[善光寺]]へ宿から'''追分'''宿まで。(宿名は出典参詣のために整備された表記付蕃は前記の連番)
 58高田,59荒井,60松崎,61関山,62小田切,63(越後)関川,64(信濃)野尻,65柏原,66室井(むろい),67荒町(あらかわ),68[[善光寺]],69丹波島,70屋代(やしろ),71戸倉,72榊(さかき),73[[上田]],74[[海野宿|海野]](うんの),75田中,76[[小諸]],77[[追分]]。(同上837,845頁より。)</ref>の道路を指す事もあり、これは'''[[北国街道 (信越)|善光寺街道]]'''とも呼ばれ、[[善光寺]]への参詣のために整備された。
 
=== 明治時代以後 ===