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[[File:USS Quincy CA-39 savo.jpg|thumb|[[第一次ソロモン海戦]]における夜戦([[探照灯]]に照らされる[[アメリカ海軍]]の[[重巡洋艦]])]]
'''夜戦'''(やせん、{{lang-en-short|night combat}})は、夜間における[[作戦]]・[[戦闘]]である。'''夜間戦闘'''(やかんせんとう)とも呼ぶ。また、夜戦により敵に攻撃を仕掛ける戦術を'''夜襲'''(やしゅう、{{lang-en-short|night attack}})という。
 
== 概要 ==
野外が暗くなってから行われる戦いであり、自軍・敵軍とも視界がほとんど得られない環境においての作戦・戦闘行動である。攻撃側から積極的に行われる夜戦を「夜襲」と呼ぶ<ref>[http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A4%9C%E8%A5%B2&aq=-1&oq=&r_dtype=all&ei=UTF-8 夜襲] - Yahoo!辞書(大辞泉、ジャパンナレッジ)(2012年4月10日閲覧)</ref>。「'''夜討ち'''」「'''夜駆け'''」も同義である<ref>[http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/18895300/ 夜討ち] - Yahoo!辞書(大辞泉、ジャパンナレッジ)(2012年9月8日閲覧)</ref>。夜に敵陣へ攻め込むと、守備側は不意を突かれることが多いため、歴史上の夜襲は[[奇襲]]となっている例が多い<ref>敵の不意を突く時間に攻めると言う点では、早朝に攻め込む(朝駆け)の事例も多いので、奇襲が全て夜襲(夜討ち・夜駆け)という意味では無い。</ref>。なお、夜襲(奇襲)は卑怯であると考えられる場合があり、[[保元の乱]]では、[[源為朝]]が夜討ちを献策<ref>『[[保元物語]]』では源為朝の献策だが、『[[愚管抄]]』では[[源為義]]が献策したとされている。</ref>するが、「皇位継承の争いで夜討ちを行うのは相応しくない」とした[[藤原頼長]]が却下したと言われる。
夜戦では、屋外は当然暗いため、視界がほとんど得られない環境においての戦闘行動となる。自軍の動きを敵に悟られにくいように、無灯火に近い形で行動をすることがある。
 
人間は[[夜行性]]では無いため、暗闇の中での行動には不慣れである。暗闇の中で視界を得るためには[[網膜]]の[[桿体細胞|桿状体]]が機能することが必要であり、これは暗闇に入ってから30分程度時間がかかる(日中明るい光に晒され続けた場合はより時間がかかる場合もある)。桿状体は網膜の周縁部に集中的にあるために、夜間で視力を得るためには対象物から少し視点をずらして見るという特殊な物の見方をする必要がある。移動においても、夜間は人間の感覚器官が鈍っているため疲労が蓄積しやすく、また障害物の有無や位置が確認しにくく、誘導が困難なために機動力が著しく低下する。誘導方法は[[地図]]、[[方位磁針|コンパス]]、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]などを用いる点は日中と変わらないが、得られる情報が日中に比べて少ないために意志決定や行動に時間がかかる。
 
以上の事柄から、夜間[[暗視装置|暗視装置(ナイトビジョン)]]やGPSの非常に発達した現代においても、夜戦は実行部隊にとってストレスの溜まる任務であり、危険度の非常に高いものであることは古来からほとんど変わっていない。またそれ故に、夜間の歩哨任務なども同様に緊張感を強いられる。
移動においても、夜間は人間の感覚器官が鈍っているため疲労が蓄積しやすく、また障害物の有無や位置が確認しにくく、誘導が困難なために機動力が著しく低下する。誘導方法は[[地図]]、[[方位磁針|コンパス]]、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]を用いるところは日中と変わらないものの、得られる情報が日中に比べて少ないために意志決定、行動に時間がかかってしまう。
 
== 夜戦を有利にする要素 ==
また隊形を維持することが夜戦においては極めて重要になる。戦闘において同士討ちを避けるために移動においては隊形を堅持し、一度射撃区域を命じられたら絶対に区域外に向けて発砲はせず、射撃区域を横切る場合は合い言葉などで敵味方を識別する必要がある。
[[File:Flickr - The U.S. Army - Fadhel fighting.jpg|thumb|暗視装置により撮影された夜間警備にあたるアメリカ軍部隊]]
;敵味方の識別
:暗闇の中での作戦・戦闘となるため、敵味方を識別できないと[[同士討ち]]が発生する<ref>誘導兵器が発達した現代空中戦においても、夜戦では同士討ちの危険性はあり、友軍機の[[ミサイル]]をかすめたといった逸話もある([[ヒストリーチャンネル]] [[ドッグファイト 〜華麗なる空中戦〜]] シーズン2・第18回「夜間戦闘機」を参照)。</ref>。そのため、意図的に夜戦(夜襲)を行う場合は、敵味方を識別する工夫が求められる。また、隊形を維持することが夜戦においては極めて重要であり、同士討ちを避けるために隊形を堅持して行動し、一度射撃区域を命じられたら絶対に区域外に向けて発砲はせず、射撃区域を横切る場合は合い言葉などで敵味方を識別する必要がある。[[壬申の乱]]で夜襲を仕掛けたと言われる[[田辺小隅]]の軍勢は[[合言葉]]で、[[河越城の戦い]]で夜襲を仕掛けた[[北条氏康]]の軍勢は白布を身に着けて<ref>[[関八州古戦録]]([[歴史群像]]シリーズ 決定版戦国合戦地図集 [[2008年]] [[学習研究社]])</ref>敵味方を区別したとされる。現代の戦闘では、戦闘機や戦車の[[敵味方識別装置]]や戦闘服([[ACU_(戦闘服)|ACU]])の[[赤外線]]チップなどを装備して、昼夜を問わず同士討ちを防いでいる。
 
;隠密行動・灯火管制
以上の事柄から、夜間暗視装置やGPSの非常に発達した現代においても、夜戦は実行部隊にとってストレスの溜まる任務であり、危険度の非常に高いものであることは古来からほとんど変わっていない。またそれ故に、夜間の歩哨任務なども同様に緊張感を強いられる。
:夜陰に紛れて作戦行動を行うため、自軍の動きを敵に悟られにくいように、無灯火に近い形で行動をすることがある。[[厳島の戦い]]では、[[毛利元就]]の軍勢の夜間移動([[厳島]]への渡航から山越え行軍)でかがり火([[松明]])を掲げることを禁じ、翌朝の奇襲を成功させている<ref>歴史群像シリーズ9 毛利元就 [[1988年]] 学習研究社</ref>。現在でも、夜間に作戦行動をとる部隊の車両には、[[照明]]にカバーを付けたり、下向きにすることで[[灯火管制]]を行う。近年では、赤外線を使った暗視装置にへの対策([[ステルス#赤外線ステルス|ステルス]])も進められており、[[10式戦車]]の車両構造は赤外線対策のため最適化され、赤外線ステルス性が向上しているとされる。
 
;視界(正確な照準)の確保
攻撃側から積極的に行われる夜戦は、特に「夜襲」と呼ばれる。夜襲とは夜間に敵を襲うことである<ref>[http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A4%9C%E8%A5%B2&aq=-1&oq=&r_dtype=all&ei=UTF-8 夜襲] - Yahoo!辞書(大辞泉、ジャパンナレッジ)(2012年4月10日閲覧)</ref>。「夜討ち」「夜駆け」も同義<ref>[http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/18895300/ 夜討ち] - Yahoo!辞書(大辞泉、ジャパンナレッジ)(2012年9月8日閲覧)</ref>。
:人工的な光源が松明などに限られていた古来に比べ、[[サーチライト|サーチライト(探照灯)]]などが発明されると、夜間戦闘の機会が増え始めた。[[日露戦争]]では、[[ロシア軍|ロシア帝国軍]]は沿岸[[砲台]]に備えたサーチライトでにて[[日本海軍]]を効果的に撃退している([[旅順港閉塞作戦]])。それでも、暗闇の中で敵を正確に狙うことは容易ではなく、[[ロシア帝国海軍]]と[[オスマン帝国海軍]]の[[遭遇戦]]となった[[トゥアプセ沖夜戦]]では、双方とも有効な[[艦砲射撃]]はできていない。さらに、第2次世界大戦で[[レーダー]]や[[暗視装置]]が実用化されると、さらに夜間の作戦行動が容易となった。[[陸上自衛隊]]の[[74式戦車]]はアクティブ型赤外線暗視装置を、[[90式戦車]]はパッシブ式熱線画像装置を搭載し、夜戦での射撃能力を高めている。
 
== 主な夜戦の例 ==
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意図的・偶発的に関わらず夜(日没後)に戦闘が開始された著名な戦いの例を列挙する<ref>ただし、日中に始まった戦闘が夜通し続けられた戦い([[ユトランド沖海戦]]など)、奇襲を目的として未明頃(夜明け前後)に主要な戦闘が開始された戦い([[保元の乱]]の白河殿夜討など)は除外している</ref>。
* [[飛鳥時代]]
** [[壬申の乱]] - 倉歴道(くらふのみち)で夜襲を仕掛けた[[田辺小隅]]の軍勢は、敵味方が夜襲識別するために[[合言葉]]を定めてい仕掛けたと伝えられる。
* [[平安時代]]
** [[倶利伽羅峠の戦い]]
** [[三草山の戦い]]
* [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]
** [[河越城の戦い]] - [[日本三大夜戦]](奇襲戦)に数えられる夜戦。別名、河越夜戦。
** [[河越城の戦い]](河越夜戦) - 夜襲を仕掛けた[[北条氏康]]の軍勢は、白布を身に着けて敵味方を識別した<ref>[[関八州古戦録]]([[歴史群像]]シリーズ 決定版戦国合戦地図集 [[2008年]] [[学習研究社]])</ref>。
** [[厳島の戦い]] - 日本三大夜は早朝だが、[[毛利元就]]の軍船はかがり火を焚かず(に数えられる戦い。 [[灯火管制]])にをして厳島に渡航し、翌早朝に奇襲攻撃を行っ<ref>歴史群像シリーズ9 毛利元就 [[1988年]] 学習研究社</ref>
** [[手取川の戦い]]
* [[日露戦争]]
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*[[第一次世界大戦]]
** [[ゼーブルッヘ襲撃]]
** [[トゥアプセ沖夜戦]] - [[ロシア帝国海軍]]艦隊と[[オスマン帝国海軍]]の[[遭遇艦隊による夜間海]]でだったが、双方とも有効な[[艦砲射撃]]はできなかった
*[[太平洋戦争]]
** [[第一次ソロモン海戦]] - [[日本海軍]]を率いた[[三川軍一]]は、夜戦は「帝国海軍ノ伝統」と訓辞を出し、探照灯を利用した撃により圧勝した<ref>ただし、探照灯を使った砲撃の危険性も露呈している。詳細は[[第一次ソロモン海戦]]の項を参照。</ref>
** [[サボ島沖海戦]](エスペランス岬沖海戦)
** [[ルンガ沖夜戦]](タサファロング沖海戦)
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== 関連項目 ==
* [[暗順応]]
* [[ナイトビジョン]]
* [[サーチライト|探照灯(サーチライト)]]
* [[照明弾]]
* [[曳光弾]]