「連合軍軍政期 (ドイツ)」の版間の差分

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== 経緯 ==
===占領政策の討議===
[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]のドイツ占領統治に関する討議が本格化したのは1943年12月の[[テヘラン会談]]以降であった。この会談で米・英・ソの外相によって{{仮リンク|欧州諮問委員会|en|European_Advisory_Commission}}の設置が決定され、この委員会が占領政策の検討を行うこととなった。諮問委員会は米・英・ソが参加する{{仮リンク|連合国管理理事会|en|Allied Control Council}}の統括による占領統治を行うことを勧告し、1944年9月12日のロンドン会議で米・英・ソ三国による占領統治が決定された{{sfn|宮崎繁樹|1992|pp=68}}。1945年1月の[[ヤルタ会談]]では米・英・ソにフランスを加えた四カ国で占領地域の分担すること、全ドイツに関する決定は四カ国軍司令官が共同で参加する管理理事会が行うが、個別の占領地域においては担当国の軍司令官が単独で決定が行えることとなった{{sfn|宮崎繁樹|1992|pp=68}}。また[[オーデル・ナイセ線]]以西は[[ポーランド]]の統治下と決定した。連合国軍は占領した地で新たな州(ラント)の自治政府を建設し、それぞれの占領地域で占領行政は個々に開始されていた{{sfn|宮崎繁樹|1992|pp=68}}。
 
=== 占領統治開始 ===