「ビートルズ」の版間の差分

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「ムーン・ドッグス」⇒「ムーンドッグス」
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| '''[[エレクトリック・ベース|ベース]]'''。
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ビートルズは元々クオリーメンという名称で1957年に結成。それ以降はジョニー&ムーンドッグス、ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ、シルヴァー・ビートルズと改名を繰り返しており、ビートルズと改名するまでに複数のメンバーが入れ替わっている(クオリーメン~シルヴァー・ビートルズ時代については別項[[クオリーメン]]を参照のこと)。ビートルズと改名してから在籍したメンバーは通算6名。その内2名は1962年10月5日にシングル「[[ラブ・ミー・ドゥ]]」でデビューする以前にバンドから脱退している。'''[[スチュアート・サトクリフ]]'''([[w:en:Stuart Sutcliffe|Stuart Sutcliffe]])はベース担当として1960年1月に加入し、1961年に行われた2度目のハンブルク巡業が終わった時にバンドを脱退している。この後ポールがベースを担当するようになり、バンドは4人編成になる。[[1962年]]4月10日、21歳で死去。映画『[[バック・ビート]]』は彼を主人公として描写した。'''[[ピート・ベスト]]'''([[w:en:Pete Best|Pete Best]])はドラムス担当として[[1960年]]8月に行われた最初のハンブルク巡業の直前に加入し、1962年8月に解雇された。この直後にリンゴが「ロリー・ストーム & ザ・ハリケーンズ」からビートルズに加入<ref group="注釈">なお、[[ジョージ・マーティン]]は当初リンゴの加入を知らず、[[アンディ・ホワイト]]([[w:Andy White (drummer)|andy White]])というドラマーを手配していたので『[[ラヴ・ミー・ドゥ]]』では2人のドラマーのテイクが存在し、シングルではリンゴの、アルバムではアンディのバージョンを聴くことができる。</ref>。
==== 基本編成 ====
上記の通り、パーロフォンからレコード・デビューした[[1962年]]10月の時点で「ギター×2、ベース、ドラムス」という編成となっている。この編成は[[1961年]]に「ギター×3、ベース、ドラムス」という編成で行われた2度目の[[ハンブルク]]巡業(詳細は[[#デビューまでの来歴|こちら]])が終了した時点で、それまでベースを担当していた[[スチュアート・サトクリフ]]が脱退して4人編成に変わり、ギター担当の1人だったポールがベースに転向した事で確立された<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.62</ref>。さらにデビューの直前である1962年8月にドラムスが[[ピート・ベスト]]から[[リンゴ・スター]]に交代し、解散するまでこの編成が続いた。デビューから2枚のアルバムは2トラックレコーダーのみで録音していたため、原則としてこの編成による一発録りで録音されていたが、[[ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (アルバム)|ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!]]から4トラックが導入されて多重録音が可能になると、演奏のみのベーシック・トラックとボーカル、リード楽器を別個に録音するといった録音方法が採られる様になる<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.233</ref>。
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== デビューまでの来歴 ==
===クオリーメン結成からビートルズへの改名まで===
[[1957年]]3月、ジョンが[[スキッフル]]・バンド「[[クオリーメン]]」を結成する(詳細は[[クオリーメン|同バンド]]の項目を参照の事)。同年7月6日、ウールトン([[w:en:Woolton|Woolton]])のセント・ピーターズ教会([[w:en:St. Peter's Church, Woolton, Liverpool|St. Peter's Church]])が開催したガーデン・パーティーでのクオリーメンのコンサートをポールが観覧。共通の友人であるアイヴァン・ボーン<ref group="注釈">ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.29のジョージの発言によれば、一時期クオリーメンにも在籍していた。</ref>の紹介によりジョンと対面。ポールはギターを弾きながら[[エディ・コクラン]]の「トゥエンティ・フライト・ロック([[w:en:Twenty Flight Rock|Twenty Flight Rock]]<ref group="注釈">[[女はそれを我慢できない (1956年の映画)]]の挿入歌。</ref>)」を歌う。ポールが歌詞を完璧に覚えている事<ref name=vanth>ビデオ盤「[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]」より。</ref>に加え、[[トランペット]]や[[ピアノ]]も演奏出来る事にジョンは感心し、クオリーメンに勧誘。その翌日にポールは参加OKと返答した<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 pp.12,21</ref>。翌1958年2月6日、ポールの紹介でジョージがクオリーメンのオーディションを受ける。「ローンチー([[w:en:Raunchy (instrumental)|Raunchy]])」を完璧に弾きこなした事と、2人よりも多くの[[和音|コード]]を知っていた事でジョンに認められ、バンドに加わる<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.12</ref>。[[1959年]]になると他のメンバーは次第に辞めていき、1月にはバンドのメンバーはジョン、ポール、ジョージの3人だけになる。同年10月、バンド名を「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」とする。[[1960年]]1月、スチュアート・サトクリフがジョンに誘われ[[ベーシスト]]としてバンドに加入(経緯は[[スチュアート・サトクリフ]]を参照の事)<ref group="注釈">しかし、当初サトクリフは楽器演奏自体が未経験だったため、構造が簡単な曲から序々に覚えて行った。</ref>。同年4月、ジョンとスチュアート・サトクリフによりバンド名をビートルズとする提案がなされるが、ブライアン・キャスが改名を要請(詳細は[[#バンド名の由来|バンド名の由来]]を参照)。その後の交渉により、バンド名が「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」になる<ref group="注釈">同年4月23、24日。ジョンとポールの2人が「ナーク・ツインズ」というユニット名で、ポールのいとこ夫婦が経営するパブで演奏している。</ref>。
 
===ビートルズへの改名以後===