「自己否定論」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
6行目:
そして遂には、自らが所属している「学生」の立場をも否定することで「加害者性」を克服し、弱者の立場に立たなければならないとする。この自己否定論の登場以降、新左翼は「社会的弱者との連帯」を掲げて[[反差別闘争]]に力を入れるようになった。<ref name="suzuki">鈴木英生『新左翼とロスジェネ』集英社、2009年</ref>
 
しかし、この理論は後に「日本人=犯罪民族=絶滅[[民族浄化]]されるべき民族」という[[反日亡国論]]の論理へと行き着くことになった。というのも新左翼活動家の父や祖父は、一部の徴兵免除者を除き、かつては[[日本軍]][[兵士]](中には[[下士官]]や[[将校]])として「[[日本帝国主義]]の侵略」に加担しており、そんな「侵略者」の子孫である自分たちは、弱者である「アジア人民」に対する[[原罪]]を負っている[[日帝本国人]]に他ならない。そんな自分たちが為すべきことは、自らが所属する「犯罪国家・日本国」と「犯罪民族・日本人」を徹底的に断罪し抹殺しなければならない。そうしない限り「アジア人民」に対する贖罪は永遠に成立しないとする<ref name="suzuki" />。
 
日本国及び民族は償いきれない犯罪を積み重ねてきた醜悪な恥晒し国家・民族であり、その存在価値が全くないので、積極的に民族意識・国民意識を捨て去って「[[非国民]]」になり、反日闘争に身を投じよと説く<ref name="yatteinai">やっていない俺を目撃できるか!編集委員会編『やっていない俺を目撃できるか! 北海道庁爆破犯人デッチ上げ事件』三一書房、1981年</ref>
 
また新左翼の自己否定論には、心理学上の[[罪悪感|自己否定]]とは異なり、自分自身をも完全否定するものではなかった。つまり「己の所属する国家や民族が犯した過去の犯罪を敢えて追及し、それを断罪している俺様は格好よくて誇らしい」といった道徳的優位性を誇示するなど「自己否定する自己」の無批判な自己肯定が見え隠れしていた<ref name="naito">内藤酬「全共闘の思想性 絶対他力と自己否定」『季報 唯物論研究』101号、季報「唯物論研究」刊行会、2007年</ref>。
そのため[[1970年代]]は新左翼活動家による反日テロが相次ぎ、警察関係者などの「権力側」のみならず、一般人にも多大な被害を与えている。
 
そのため[[1970年代]]は新左翼活動家による反日テロが相次ぎ、警察関係者などの「権力側」のみならず、「自己否定しようとしない道徳的劣位者」として一般の日本断罪され、多大な被害を与えている。
新左翼的自己否定論は、現在では日本人迫害を正当化する差別思想であると結論付けられている。
 
新左翼的自己否定論は、現在では「戦争責任」に託けて日本人迫害を正当化する新手の差別思想であると結論付けられている。
 
== 脚注 ==
19 ⟶ 21行目:
==参考文献==
* やっていない俺を目撃できるか!編集委員会編『やっていない俺を目撃できるか! 北海道庁爆破犯人デッチ上げ事件』三一書房、1981年
* 内藤酬「全共闘の思想性 絶対他力と自己否定」『季報 唯物論研究』101号、季報「唯物論研究」刊行会、2007年
* 鈴木英生『新左翼とロスジェネ』集英社、2009年