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'''郭 泰'''(かく たい、[[128年]] - [[169年]])は、中国[[後漢]]代の儒者。字は林宗。[[太原]]郡界休県の人。当時の名儒を数え上げた'''八顧'''の一人。[[後漢書]]では、編者の范曄が父の諱を避けて
『
「
郭太
』『
」「
郭林宗
』
」
と表記される。
== 来歴 ==
16行目:
== 参考文献 ==
*
《
『
[[後漢書]]
》
』
郭符許列
傳
伝
第五十八 郭太伝
*同 陳王列
傳
伝
第五十六 王允伝
*「漢代官吏登用制度の研究」福井重雄/創文社