一条房家(1475年-1539年)は土佐の国司で一条氏の二代目当主。一条教房の次男。
一条氏は公家大名であり、房家はその名門のおかげもあって、土佐の片田舎にありながら官位は正二位までに昇進したという。また、政治的に優れた名君でもあり、土佐に「小京都」と呼ばれるほどの街を建設し、一条氏の最盛期を築き上げた。
しかし、長宗我部国親を保護したことが、房家一代の決定的な失策と言えたかも知れない。