「一条房家」の版間の差分

日本の戦国時代の公卿、大名。土佐一条氏2代。一条教房の次男。正二位、権大納言、土佐国司。妻に源惟(兵部少輔)の娘。子に尊快、一条房忠(子に兼頼)、一条教行、一条兼朝、盛岳
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2004年6月8日 (火) 17:30時点における版

一条房家1475年1539年)は土佐国司一条氏の二代目当主。一条教房の次男。

一条氏は公家大名であり、房家はその名門のおかげもあって、土佐の片田舎にありながら官位は正二位までに昇進したという。また、政治的に優れた名君でもあり、土佐に「小京都」と呼ばれるほどの街を建設し、一条氏の最盛期を築き上げた。

しかし、長宗我部国親を保護したことが、房家一代の決定的な失策と言えたかも知れない。