「永劫回帰」の版間の差分

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また、自然科学的観点に立てば、1.世界は[[エントロピー]]増大の法則により常に拡散・多様化していくので類似の状況が再現されてもまったく同じ状況が再現されることはないという[[熱力学]]的見解や、2.有限の系に無限の時間を与えても繰り返しが起こるとは限らないことを発見した[[カオス理論]]、あるいは、3.本質的に不確定性を内包する[[量子論]]など、特に物理学によって永劫回帰を否定することが可能である<ref group="注釈">しかし、1.多重宇宙間でのエントロピーの交互やり取り、2.散逸的事象と揺動的事象がマクロスケールと量子スケールにそれぞれ留まる場合、実質的な永劫回帰である、3.多重宇宙間で決定論的である可能性が残されている事、これらを考慮すると自然科学的観点から永劫回帰を否定するのは十分な論ではない可能性もある。</ref>。
 
また、ニーチェの能動的ニヒリズムは、[[ナチス]]に[[ヴェルサイユ体制]]打破という政治的目的に利用され、結果的にヨーロッパに破滅的な戦災を与えた。戦後、新左翼の若者たちの間でも流行し、彼らの刹那的で、盲動的な暴力行為を煽った。絶対的な善悪だけでなく、相対的な善悪すら存在しないと言うことは、あらゆる蛮行や凶行もすべて許されてしまうと言う危険思想に容易に直結する。その反体制政治的に利用されやすい危険性と反省から、哲学者の[[永井均]]はその敗北の完璧さにおける思想的な意義を賛美しつつも、「ニーチェは思想家としては敗北した。マルクスには復活の可能性があるが、もはやニーチェにはない」と指摘している<ref>{{Harvnb|永井|1998|Ref=CITEREF永井1998|pp=11,99-100}}</ref>。フランシス・フクヤマも、「ユダヤ的対等願望(奴隷道徳)は、ゲルマン的優越願望(貴族道徳)に勝利した」<ref group="注釈">この場合の「ユダヤ/ゲルマン」の対比は、「被支配者/支配者」を示すものであり、ユダヤ文化=奴隷文化/ゲルマン文化=貴族文化という意味では無い。ユダヤ教そのものは、ユダヤを神に選ばれた民とする旧約聖書中の選民思想である。</ref>と指摘し、弁証法的に発展する歴史には目的や終わりがあるとして、歴史の終わりを説いた。ブッダは「犀の角のようにただ独り歩め」と説き、ニヒリズムの政治化を戒めている。
 
永劫回帰は科学的に確定される現象や政治思想としてではなく、あくまでも実存主義の構えの柱の一つであり、個人の心的現象内によって発生しうるものなのかもしれない。ニーチェは、個人幻想の枠内ならば、人間は因果律も時間軸も超えられることを叫び、個人幻想の絶対的自由を主張したかったとも解釈しうる。これについて、永井均は永劫回帰は思想と言うよりも、ある日突然ニーチェを襲った体験である点を強調している<ref>{{Harvnb|永井|1998|Ref=CITEREF永井1998|pp=150-151,169,174-175}}</ref>。