「石原慎太郎」の版間の差分

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== 略年譜 ==
* [[1932年]] (昭和7年)
: [[9月30日]] - [[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]にて海運会社[[商船三井|山下汽船]]に勤める石原潔・光子の長男として生まれる。父・潔は[[愛媛県]]の[[長浜町]]に生まれ、旧制宇和島中学 (現在の[[愛媛県立宇和島東高等学校|宇和島東高校]]) を[[中退]]し山下汽船に入社した。店童 (てんどう) <ref name="店童(てんどう)">店童 (てんどう) とは、海運会社独特の制度で、商店でいえば[[丁稚]]に相当し、宿舎と食事は確保してくれる代わりに、[[給料]]は一切なかった。便所掃除、社員の[[靴]]磨き、使い走り。店童 (てんどう) は上司から命じられれば何でもやらなければならなかった。時には、[[質]]入れや、なじみの[[遊郭]]の[[女郎]]に[[菓子]]を届けることまでやらされた (『てっぺん野郎─<small>本人も知らなかった石原慎太郎</small>』31-32頁) </ref>あがりだったにもかかわらず、最後は[[関連会社]]の[[重役]]<!--山下汽船本社の重役ではなく関連会社の重役-->にまで出世した<ref>[[佐野眞一]]著『てっぺん野郎─<span style="font-size:90%;">本人も知らなかった石原慎太郎</span>』34-35頁</ref>。母・光子は[[広島県]][[厳島]]の出身<ref name="tv-asahi-mother-20224">[http://www.tv-asahi.co.jp/mother/contents/100/backnumber/20224.html 石原慎太郎・裕次郎の母 グレートマザー物語 2002年2月24日]</ref><ref>母・光子が広島県人であるのは古くから知られていた。1971年に出版された『日本人研究 <第2巻> 』 (板坂康弘著、流動) 広島県人の項、259-260頁に「石原慎太郎は父の勤務につれてあちこちで育ったが、血脈は広島である。石原も躁鬱気質の典型的な[[広島県]]人」と論じている。</ref>。なお石原自身は[[神奈川県]]を出身地としている<ref>『人事興信録』</ref>。
* [[1934年]] (昭和9年)
: 12月28日 - 弟・[[石原裕次郎|裕次郎]]が生まれる。