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'''岡田 頼母'''(おかだ たのぼ、[[宝暦]]13年([[1763年]]) - [[天保]]7年([[1836年]]))は、[[浜田藩]]の在国[[家老]]。諱を'''元善'''。[[囲碁]]では安井家門人(二段)でもあった。
浜田藩の在国家老.
囲碁では安井家門人(二段)でもあった。
天保6年(1835年)、本因坊丈和が赤星因徹と対局した松平家碁会では、開催を働きかけた。
 
天保6年(1835([[1835]])、[[本因坊丈和]][[赤星因徹]]と対局した松平家碁会では、開催を働きかけた。
石見浜田藩松井松平家を舞台とした密貿易事件である竹島事件(たけしまじけん)では
 
1836年(天保7年)6月、大坂町奉行の手によって頼母の家臣で藩勘定方の橋本三兵衛と会津屋が捕らえられ、12月23日に処分が幕府より言い渡される。頼母と在国年寄松井図書は切腹となった。
石見浜田藩松井松平家を舞台とした密貿易事件である[[竹島事件(たけしまじけん)]]では
1836年(天保7年)6月、大坂町奉行の手によって頼母の[[家臣]]で藩勘定方の橋本三兵衛と会津屋が捕らえられ、12月23日に処分が[[幕府]]より言い渡される。頼母と在国年寄[[松井図書]][[切腹]]となった。
 
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[[Category:江戸時代の人物]]
[[Category:1763年生]]
[[Category:1836年没]]